プロランナー・川内優輝。学習院大学在学中、同校の歴史上はじめて箱根路を走り、その名を轟かせた。卒業後は、埼玉県庁で職員として働く傍ら市民ランナーとして様々なマラソン大会で優勝するなど、それまでのマラソン界の型を破るような活躍を見せている。

 2019年4月からはあいおいニッセイ同和損害保険と所属契約を結び、プロランナーに転向した川内さん。学連選抜を経験し、いまもプロとして活躍する彼は、『俺たちの箱根駅伝』をいかに読み、自身の経験を語るのか――。
 
 全2回の後編です。(前編はこちら)


――高校時代から自身のストロングポイントを理解したうえで、実力もあった川内さんが、いわゆる箱根駅伝の常連校ではなく、学習院大学を選んだのはなぜですか?

川内 高校生のときは、中央大学や早稲田大学のような箱根の強豪校に行きたいという気持ちもありました。でも、2年生の1月に膝を痛めてから、3年生の間は怪我が続いてしまい、自己ベストを伸ばすことができなくて。他のインターハイ出場選手のところに複数の大学からオファーがある中、僕はグラウンドを歩いたり、整備をしているような状態でした。

 
 

 普通だったら陸上を辞めてしまう状況だと思いますが、僕は小学1年生のときから陸上をやっていたので、辞めるという選択肢は浮かばず、「どうやったら楽しく走り続けられるか」と考えるようになりました。頭のどこかに、「4年間頑張って、1度くらいは学連選抜に選ばれるような選手になれたらいいな」という気持ちもありましたが、それは夢のまた夢という感じでした。

 学習院に決めたのは、陸上は関係なく、教育面やキャンパスの雰囲気が理由です。高校までとは全く違う環境で、あの森の中にあるようなキャンパスで勉強できたら、それまでの自分を変えられるんじゃないか、と。

 なので、入学するまでは陸上部がどういうチームなのか、全く想像できていませんでした。入った瞬間に5000mの自己ベストでは僕がトップになったのですが、800mや1500mの中距離で速い選手がいたり、逆に20km、30kmの長距離に強いスタミナのある選手がいたり。先輩や練習に顔を出してくれるコーチやOBと練習するうちに、1年生の秋にはすごくタイムが伸びたんです。

2024.09.26(木)