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「自分の初期衝動は、他の誰かの初期衝動でもある」

――ドラマ好きの間で祖父江さんの名前が知られるきっかけになった『来世ではちゃんとします』(2020年/シーズン1)をはじめ、『38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記』(同)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(2021年)など、女性の生き方をテーマにした作品を多く手がけられていると思います。ただ、過去のインタビューを拝読すると「自分の初期衝動で作れるドラマはひと通り作った気はしている」とおっしゃっていますよね。この感覚は今もありますか?

 2年くらい「私は何をつくればいいのだろう……?」って迷走している感覚はありますね。でも最近「私の初期衝動は多分、ほかの誰かの初期衝動でもあるんだな」とわかってきたんですよ。

――どういうことでしょう。

 ここでいう初期衝動って、そのときの自分が興味があることだったと思います。これまでは、自分の半径5メートルくらいの世界で今の自分自身が興味のあることでドラマをつくらなきゃいけないという変な固定観念があったんです。でもそうじゃないかもしれない、と。

 私自身は経験や年齢を重ねて、そんなに恋に悩むことはなくなってきました。怒りの感情も薄くなってきた。でも私がかつて悩んだり怒ったりしていたのとまったく同じことにぶち当たっている若い世代はいるはずじゃないですか。そういう人たちのためにドラマをつくることはできる。今となっては「何をあんなに悩んでいたんだろう」と思うことでも、それを描かないという選択肢はないなと思ってます。

――なるほど。それは年齢と立場も変わってきたからこそ思うことですよね。2022年からは「ドラマ24」枠のチーフプロデューサーになられて、後輩や若手を育てることを意識する機会は増えたのではないでしょうか。

 後輩の企画はわりと見てますね。たとえば『シガテラ』(2023年)では後輩の吉川(肇)が初めてプロデューサーを務めたので、いろいろアドバイスもしました。テレビ東京のドラマ室は良くも悪くも放任主義なので、仕事の仕方をあんまり教えてもらえないんですよ。別のところで経験を積んだ人がやってくる部署であって、ゼロから叩き上げで育てられるわけではないので。

――冒頭で「テレ東は1年目からドラマ室にはいけない」とおっしゃっていましたね。

 私自身、34歳で異動してきて、かなり戸惑いました。年齢的にも丁稚みたいなことは今さらやらせてもらえなくて、でもプロデューサーの仕事とはなんなのかはわからない。芸能事務所にキャスティング依頼の連絡をするのも初めてなら脚本家との脚本打ちも初めてで、どう立ち振舞ったらいいのか、大事にしなきゃいけないことは何なのか、何もわかってないわけですよ。だから先輩の濱谷(晃一)や阿部(真士)、当時の部長だった浅野(太)などにいろんなことを聞きまくってました。後輩もきっと同じことで悩むに違いないと思ったので、そこは結構気を配るようにしています。

――それは作品に対する考え方と通じる部分がありそうです。自分と同じ道を歩む後続のために、という。

 そうかもしれません。もうちょっと生きやすくなるように、せめて障害を少しどかしておいてあげるくらいはできるんじゃないかな、と思ってますね。

――ただ、悩ましい面もあるのではないでしょうか。自分も手を動かしてやりたいことがあるのに、管理職としてリソースを割かなければいけない。会社員の普遍的な悩みではありますが、テレビ業界の人はクリエイティブなことをしたくて入社しているわけで、そこの折り合いをつけるのはなおのこと難しそうです。

 それはもう本当にその通りです。基本的には自分のドラマのことしかやりたくないですよ(笑)。まさか自分が管理職のような仕事をするなんて思ってなかったし、異動して4年でチーフは速すぎますからね……。でもまぁ仕方ないですよね。会社の人事だし、サラリーマンだし。私はわりと人が好きな性格で、先輩には恩義を感じるし後輩もかわいいし、置かれた場所で咲けてしまうタイプなのでなんとかなってます。「会社員としてクリエイティブをやるからには、会社員としての醍醐味も一応味わっておくか」って気持ちでいます。

――仕事の幅という意味では、深夜枠であるドラマ24だけでなく、GW放送の『生きとし生けるもの』のような特番ドラマを担当されることもあります。廣木隆一監督で脚本が北川悦吏子さん、妻夫木聡さんと渡辺謙さんのW主演で音楽は大友良英さんとビッグネームが並ぶ大作です。こういった、普段とは違う現場を経験することで得られるものはありますか?

 「ドラマはいろんな人の手によってつくられていくのだな」としみじみ感じて、謙虚になりますね。『生きとし生けるもの』でいうと、もともと「テレビ東京開局60周年で何か書いてほしい」と北川悦吏子さんにお願いしたところから始まっているんです。北川さんがやってくださることになったから妻夫木さんや渡辺謙さんが出てくださることになったり、廣木監督が引き受けてくださったから大友さんに音楽をやっていただけることになったり。社内でも、60周年という冠に向けてプロモーション部や営業部、編成部などいろんな人たちが総動員で盛り上げてくれています。

 あらためて、プロデューサー1人では何もつくれないんだということを実感しました。頑張っていろんな人にお願いして加わってもらって座組を整えることが最大の仕事なんだな、と。

――では逆に、プロデューサーとして最も達成感を覚えるのはどんなときなんでしょう。

 それは間違いなく視聴者の方から感想をいただいたり、「あのドラマ、観てました」って言われたりしたときです。やっぱり“届ける”ことがこの仕事をする上で最大のモチベーションなんですよ。だから「届いていたんだ」とわかった瞬間がいちばんうれしい。どんなに仕上がりが良くても、それだけでは自己満足の世界じゃないですか。作品が世に出て、どう観られるかが重要だと思っています。

2024.05.01(水)
文=斎藤 岬
撮影=平松市聖