TENの特殊な能力が成功に結びつくのは、わたしたちが生きているのが「知識社会」で、高い知能をもつ者に大きなアドバンテージが与えられるからだ。しかも、世界がよりゆたかに、より平和になるにしたがって、彼ら/彼女たちのパワーはますます強まっている。
戦争や内乱では武力が、貧しい社会では身分のような既得権が生き残るために必須だが、世界がゆたかで平和になればこれらは無用の長物になり、人種や国籍、出自、性別、性的指向などとは関係なく、一人ひとりの“能力”だけが公正に評価されるようになる。リベラルな社会の根幹をなすこの原理がメリトクラシーだ。
伝統的なムラ社会のしがらみが色濃く残る日本に比べて、「人工国家」であるアメリカは純化した知識社会で、その可能性に魅せられて世界じゅうからTENが引き寄せられてくる。こうして、シリコンバレーという唯一無二の特別な場所が生まれた。
日本では残念なことに、いまだに「思想」というと孔子や仏陀やプラトン、カントやマルクス、あるいは1980年代に流行したポストモダンのフランス思想のことだと思われているが、科学とテクノロジーの水準が指数関数的(エクスポネンシャル)に高度化したことで、これらはすべて過去の遺物になった(進化論を無視して人間や社会を語ることになんの意味があるのか)。
その結果、いまや世界を変える思想はリバタリアニズムだけになっている。このように言い切れるのは、Google、Amazon、Meta(Facebook)などプラットフォーマーの創業者、チャットGPTなどのAI(人工知能)や、ビットコインなどで使われるブロックチェーンの開発者がみなテクノ・リバタリアンだからだ。
そんな特殊能力をもつ「ミュータント」たちは、わたしたちをどのような世界に導いていくのか? 本書ではこの問いを考えてみたい。
なぜなら、未来について語るのに、これ以外に真剣に考えるべきことなど存在しないからだ。
2024.04.04(木)