この記事の連載
- 猫沢エミ『猫沢家の一族』前篇
- 猫沢エミ『猫沢家の一族』後篇
ガチャ!
突然、リビングのドアが勢いよく開き、そこには生まれたままの父・サピエンスが立っていた。啞然とする私の横にNの姿を捉えた父は、次の瞬間、目にも留まらぬ速さで被っていたヅラをむしりとり、股間に素早くあてがった。プリンセス天功も舌を巻く、まさに華麗なイリュージョン。そして、Nに向かって「いらっしゃい。ゆっくりしてってね」と、気取った口ぶりで言い放ち、それから台所へと消えていった。
“ゆっくりできるワキャナドゥ!!”と、心の中でラップ調に叫んでいた私。ところがNは、のんびりした口調で「エミちゃんのお父さんってさ、アソコの毛がすごいんだね〜」と、こともなげに言って「それでさあ……」と、中断していた話の続きをし始めたではないか。
ふとNの顔を見ると、メガネが外れている……そうなのだ。ど近眼のNがタイミング良くメガネを外している時に父が現れたおかげで、まだうら若き乙女だったNの心に、バズーカ砲のトラウマは植え付けられずに済んだ。彼女の視界に映っていたのは、ぼんやりとした父の輪郭と、股間の剛毛、これだけだった。
それにしてもN……ぼんやりとはいえ、人んちの親の全裸を目撃しても動じない、さすがしょっちゅう猫沢家に出入りしている私の親友! という感心と、ヅラのオールマイティーな使い道の広さに目から鱗であった。
それから両親の、着るものへのお金のかけ方も、非常にバランスが悪かったと記憶している。まだ一家が没落する前だった子ども時代の私の記憶を遡れば、お金がある上に洒落者だった父は、何着も三つ揃いのオーダースーツを持っており、母も地方暮らしのマダムにしては、垢抜けた流行の服に身を包んでいた。
外出先が変わるごとに着替える田舎貴族のようなふたり。ところがこれは、あくまでも見栄と虚構に包まれた外面だけの話だった。
2024.03.29(金)
著者=猫沢エミ