この記事の連載

 2024年2月3日土曜、梅田 蔦屋書店でお昼3時から始まった『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』刊行記念、内田也哉子トークイベント。会場は満席である。

 「週刊文春WOMAN」連載5年分の対談の貴重な裏話に加え、母・樹木希林さんの奇抜な子育て、特殊な家族関係、夫・本木雅弘さんとのヒリヒリするような夫婦エピソードなど、濃厚な90分となった。

母を亡くした直後のオファー。初回執筆時の「記憶がない」

 聴き手は、「週刊文春WOMAN」の編集長・井﨑彩さん。お二人は颯爽と登場……したのだが、椅子の座り方に手こずる珍事が。「おろろ」「よいしょ」と座り直すところから始まり、会場になごやかな見守りの空気が漂う。

 無事ポジションが整い、いざ、トーク開始! まずはご家族と樹木希林さんのエピソードに花が咲く。内田家の子育ては何度聞いてもパンチが強い。也哉子さんは幼少期、テレビもおもちゃも与えられなかったという。鍋や傘を工夫して遊ぶことを教えられ、服は小学校を卒業するまで古着だった。

 希林さんが海外ロケの時は「世界でいろんなことを見なさい」というこだわりのもと、学校を休ませ同行させたそうだ。スクリーンに映し出される家族の旅行写真も、日付が「1月14日」だったりする。学校始まってますよね!

「決して私を子ども扱いしなかった。これから大人になっていく中で、父という存在への疑問もそうだし、人生の根源的な疑問をぶつけたら、200%の心をちゃんと受け止めてくれて、返してくれる人でしたね」

 と、也哉子さんは回想した。

 樹木希林さんが亡くなったのが2018年9月15日。そして『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』の連載が始まったのが12月29日発売の創刊号。これについて、井﨑さんから驚きのエピソードが。

「也哉子さんに原稿をお願いしたのが、9月末だったんじゃないかなと思うのですが」

 希林さんが亡くなった同月の打診! 也哉子さんもびっくりしたと話す。

「こんな大変な時に何を書けばいいんだって。できるはずがないと思ってたんですけど、一番私に影響力があった人物が、本当にこの世から消えてなくなる、家族を失うという体験が初めてだったので、藁をもすがる思いでエッセイをまず書いて」

 第一回目は、対談ではなく、樹木希林さんのエッセイ「Driving My Mother」。也哉子さんは当時の記憶がないという。「Driving My Mother」の冒頭の一文にもこうあった。

 “うわのそら。この言葉が今、最も自分の心の有り様を表している”

「心を紐解いていく作業。原稿を送った時は、放心状態でしたね。そこからやっぱり人に会いたい気持ちがムクムクと湧き上がってきて」

 そうして対談形式が決まったという。

「ブランクっていうのは、空欄、空っぽという意味があるんです。すごく寂しさで溢れているけれども、視点を変えれば、どのようにでも真っ白を埋めていける、満たしていける。喪失と希望が両方存在するような気持ちで始まったんですね」

2024.02.15(木)
文=田中 稲
撮影=佐藤 亘(ポートレート、書籍)、編集部(イベント風景)
ヘアメイク=渡邉ひかる(ambient)