笠置はステージの幕間に楽屋で幼い一人娘のエイ子をあやし、乳房をふくませて、またステージに駆け戻っていった。共演者の淡谷もエイ子のおむつを替え、時には自分の乳房をふくませることもあったという。
二人の交流は晩年まで続き、淡谷は笠置の家を訪れるたび、エイ子に「お母さんに感謝しなさいよ」と声をかけていた。二人とも潔癖で頑固で世話好きの人情家だった。男に頼らない生き方を貫いたところもよく似ている。
敗戦から約15年…ラジオに流れた「幻のラジオドラマ」
1959(昭和34)年5月14日、文化放送にて風変わりなラジオドラマが放送された。出演は淡谷のり子と笠置シヅ子だけ。全編にわたって歌と語りで構成され、作は国内初のテレビドラマの脚本を手がけた伊馬春部、音楽は服部良一が担当した。
男に捨てられてうらぶれた淡谷のり子が一杯飲み屋の女・笠置シヅ子に拾われ、二人で生きる辛さ、苦しさを語り合いながら酒盛りをする――という内容だったらしい。「らしい」というのは、当時の雑誌にレポート記事が載っているだけで、今は聴くことができないからだ。
淡谷が「ああ、雨だれになって、いつまでも執念深く、あの男の窓べを叩いてやろうか……」と語り、「雨よ降れ降れ、なやみを流すまで」と「雨のブルース」を歌えば、笠置が「あんたなにぶつくさ言うてなはる……お酒はいくらでもありまっせ」と返し、「今じゃ飲みやのおかみさん、うちはつぶれてとうさんも、いとはんもあったもんやない、それでも生きて、生きのこって……」と歌ったという(『新婦人』1959年7月号)。
淡谷と笠置がそれぞれイメージに合った役柄を演じていたようだ。「歌手廃業」を宣言した後の笠置がどのような歌声を披露したのか、非常に興味深い。
「それでも生きて、生きのこって」という(たぶん)番組オリジナル曲の歌詞は、娘のエイ子を育てるためにギャラを下げながら女優活動とタレント活動に邁進した笠置の生きざまを表しているように思える。「いつまでも執念深く」という淡谷のセリフも、歌に生きた彼女の性格を表しているようだ。
なにより、生涯のライバルであり、盟友だった淡谷と笠置がどのような掛け合いをしたのか、二人がどんなムードを醸し出していたのか、音源が残っているなら、ぜひとも聴いてみたいと思うのである。
【参考】
吉武輝子『別れのブルース 淡谷のり子』(小学館文庫)
淡谷のり子『酒・うた・男 わが放浪の記』(春陽堂書店)
砂子口早苗『ブギの女王・笠置シヅ子 心ズキズキワクワクああしんど』(潮文庫)
笠置シズ子『歌う自画像 私のブギウギ傳記』(北斗出版社)
『エモやんのああ言えば交遊録』(84年8月31日)
『徹子の部屋』(91年8月2日)
『クローズアップ現代』(99年12月14日)
2024.02.12(月)
文=大山くまお