連続テレビ小説『ブギウギ』(NHK)で年明け早々、とても印象的なエピソードがあった。1月5日に放送された「戦争とうた」の第66話で、茨田りつ子(菊地凛子)が鹿児島の特攻隊基地で乞われるままに「別れのブルース」をせつせつと歌って涙し、福来スズ子(趣里)が富山の人々の前で「大空の弟」を歌い上げたのだ。
ご承知のとおり、福来スズ子は“ブギの女王”笠置シヅ子、茨田りつ子のモデルは“ブルースの女王”淡谷のり子をモデルにしている。第1話のアバンタイトルに登場した二人が、全体のちょうど折り返し点にあたるこの回でクローズアップされたのは象徴的だ。
笠置にとって淡谷は歌手としての先輩であり、戦前、戦中、戦後をともに駆け抜けたライバルであり、仲間でもあった。笠置にとって最大の音楽の師・服部良一の曲を歌っていること、お互いシングルマザーという共通点もある。
とはいえ、歩んできた道のりや性格などは対照的だ。『ブギウギ』は笠置シヅ子の物語だが、対照的な存在である淡谷のり子を置くことで物語に奥行きを作ろうとしているように思う。ここでは淡谷がどのような人生を送ったかをあらためて振り返ってみたい。
「男の稼ぎをあてにせずに生きていかれるように…」
淡谷のり子が生まれたのは1907(明治40)年8月、笠置シヅ子の7歳上にあたる。生家は青森の豪商「大五阿波屋」。幼少期は祖母に溺愛され、朝目覚めると枕元に舶来のチョコレートなどがぎっしり詰まった三段重ねのお重が置かれているほどの贅沢三昧の日々を送っていた。
しかし、青森大火によって店が焼失。父・彦蔵の放蕩癖もあり、家は没落してしまう。
幼い頃から性格は「じょっぱり」を超えた「からきじ」と言われていた。「無理を承知で我を通す」「強情を張り通す」のが「じょっぱり」だとすると「からきじ」はさらにその上を行く。ほとんど生理的な癇癪に近いもので、潔癖であり、純粋であり、絶対に妥協を許さない。
2024.02.12(月)
文=大山くまお