友だった“ブルースの女王”と“ブギの女王”

 ブルースの女王とブギの女王。直立不動で歌う淡谷のり子が“静”なら、ステージ狭しと躍動する笠置シヅ子は“動”だ。二人はどこまでも対照的である。

 寒い青森で生まれた淡谷と、温暖な香川で生まれた笠置。豪商の家に生まれた淡谷と、下町の銭湯で育った笠置。幼少期から傍若無人だった淡谷と、大人たちに囲まれて他人の気持ちを探っていた笠置。正規の音楽教育を受けてきた淡谷と、少女歌劇の舞台で叩き上げられた笠置。私生活ではぜいたくと浪費を極めた淡谷と、質素で堅実だった笠置。酒豪だった淡谷と、一滴も酒が飲めなかった笠置(ドラマの中ではコップ酒を呷っていたが)。恋多き女だった淡谷と、死別した婚約者一筋だった笠置。多種多様な音楽を歌いこなした淡谷と、ほぼ服部良一の曲しか歌わなかった笠置。

 なかでも最大の違いは、淡谷が「歌こそわが命」と80歳を超えるまで生涯歌い続けたのに対し、笠置は43歳だった1957(昭和32)年に「歌手廃業」を宣言して女優業に転身した点だ。 “歌手”として生きることを選んだ淡谷と、“芸人”あるいは“ボードビリアン(喜劇俳優)”として捉えられていた笠置の違いなのだろう(服部良一や芸能ジャーナリストの旗一兵がそのように笠置を評している)。その後、「懐メロ」ブームが起こると、自分は過去の存在なのかと苦悩しながら淡谷が歌い続けた一方、笠置は再び歌うことはなかった。

対照的な二人の女王の“共通点”

 淡谷の評伝『別れのブルース 淡谷のり子』を書いた吉武輝子は、笠置が淡谷のステージを妨害したことや、後輩いじめを続ける笠置を淡谷が叱り飛ばしたエピソードを紹介している。

 一方、笠置の評伝『ブギの女王・笠置シヅ子』を上梓した砂子口早苗は、笠置をライバルとして意識していた淡谷が、戦後、国民的スターになった笠置への批判を繰り返したと書く。

 とはいえ二人は盟友だった。淡谷はブギを歌わなかったが、笠置に頼まれるとステージで共演した。

2024.02.12(月)
文=大山くまお