2023年度後期の朝ドラ『ブギウギ』のヒロインは、敗戦後に「東京ブギウギ」が大ヒットし、「ブギの女王」として一世を風靡した笠置シヅ子である。笠置は戦前から戦後にかけて舞台・映画・テレビで幅広く活躍し、日本の芸能史においても特筆すべき人物だ。

「東京ブギウギ」は戦後の時代を象徴する歌に

 笠置は1914年に香川県に生まれ、まもなく養女に出されて大阪で育った。養家の銭湯では脱衣場でいつも歌い踊って人気者になり、12歳のときに松竹楽劇部に入団する。最初に注目されたのは、頬を赤く塗ったコミカルな娘役だった。1938年、松竹が旗揚げした男女混成の松竹楽劇団に移籍するため上京し、そこで出会ったのが服部良一である。

 服部は稽古場の笠置を見て「裏町の子守女か出前持ちの女の子」と思ったという。だが、ひとたび舞台に上がると、そのスウィング感は別格だった。服部は自らの音楽を表現できる最良の相手を見つけたのだ。笠置は服部が作曲するジャズを歌い、「スウィングの女王」と呼ばれた。なかでも「ラッパと娘」(1939)は、戦前日本のジャズの最高峰といわれている。笠置は太平洋戦争がはじまる前に一度、歌手としての栄光をつかんでいた。

 本来、戦後の活躍は戦前の延長線上にあるはずだが、今や笠置は「ブギの女王」として語られることが多い。それは「東京ブギウギ」が単なる流行歌ではなく、戦後の時代を象徴する歌になったからだろう。並木路子の「リンゴの唄」が敗戦に打ちひしがれた心を癒す歌だとすれば、「東京ブギウギ」は焼け跡からの復興を鼓舞する歌である。歌だけではない。舞台の上でエネルギッシュに歌い踊る笠置の姿そのものが、復興のイメージと結びついているのだ。

戦時下に激しく燃え上がった恋

 だが、「東京ブギウギ」を歌う笠置は心に深い悲しみを宿していた。この歌ができる直前、彼女は大切な人との別れを経験していたのだ。

 

 戦争中、ジャズをはじめとする欧米の音楽が「敵性音楽」として弾圧され、笠置は自分の歌を思うように歌えなくなっていた。その只中の1943年6月、笠置は名古屋で一人の「美青年」と出会う。彼の名は吉本頴右(えいすけ)、吉本興業の創業者吉本せいが溺愛する一人息子であり、いずれ後継者になるはずだった。笠置より9歳年下、当時まだ19歳の学生である。そんな吉本の「ぼんぼん」と、当局から睨まれる「敵性歌手」の2人が、やがて恋に落ちた。その恋は戦時下に激しく燃え上がった。日本中が空襲の恐怖に怯える日々を、笠置はのちに振り返って「わが生涯の最良の年」だったと記している。

2024.01.24(水)
文=笹山敬輔