史実を扱う際のモットー
ところで朝ドラは、完全オリジナル作品と、実在する人物をモデルとする作品の2パターンに分かれる。『らんまん』のように史実をフィクションとして再構築し、新たなオリジナル・キャラクターを創り出して立体感を持たせるには、どんな作業が必要なのだろうか。
「牧野富太郎さんはいくつか自伝を残していますが、『本人が書いた自伝は参考程度に』というモットーが私の中にありまして(笑)。とくに最晩年に刊行された自伝は、その当時の世の中で、どういうビジョンが求められているかという『要請』に応えて書いているものが多いんです。自身をどういう『像』として後世に残したいか、という部分が多分にある。これは、評伝劇をいくつも書いてきた経験から得たことなのですが。
だから私はまず、自伝からは『事柄』だけを脳内で取り出していくんです。それから、評伝や記事も含め、第三者が書いた複数のテキストに当たります。事実確認が取れたら、その『事柄』にどういうふうに突入して、どうやって出ていくのかを考える。史実を元にしたフィクションにおいて、この『入口』と『出口』は自由であると考えています。人物の感情がいちばん積み上がったところで『事柄』が出てくる。私の場合、『事柄』は“通過ポイント”として使っています」
万太郎の姉・綾のエピソードに込めた思い
史実を大胆にアレンジし、数々の魅力的なキャラクターが登場する『らんまん』は、明治時代を舞台としながら、現在進行形のメッセージを視聴者に訴えかけてくる。特に、万太郎の姉・綾のエピソードは、「女が酒蔵に入ると腐造が出る」という迷信がまかり通っていた当時の社会的背景に忠実に描きながらも、彼女が選び取った行動と人生によって、視聴者の共感を呼んだ。こうした作劇のバランスについては、どんな意図があったのか。
「『できない』というのが、当時としては当然のことなんですよね。そうした『時代の限界』を描くことで、そこから突破したいと思う『力』が、鮮やかに描き出せると思いました。障壁を打ち破りたいという強い願いを重ねてきた人たちの行動の結果として、今、私たちがここにいます。
2023.09.24(日)
文=佐野 華英