また明日の夜ね、と別れて、昼間の世界を生きて、夜になると別の世界に行く。

 数ヶ月はまって、激やせ。あ、これはまずい、と思って、心を鬼にしてプレイ時間を制限し(自由業の大人って歯止めが利かなくてダメですね)、なんとか日常に復帰しました。

 モンハンにはまった時は、数十人規模で丸一日狩り会を開催。イングレスでは、今見ている世界に別世界がレイヤーで重なる視点の変換に夢中になりました。コロナ禍で外出できない時は、外に行く代わりに、どうぶつの森がわたしのもう一つの世界。

 孤独になりたくてゲームをする人はいません。少なくともわたしにとっては、ゲームはいつもコミュニケーションがあるからこそ楽しいものでした。

 誰かと繋がりたかったり、自分ではない誰かになれる自由が欲しかったり、ままならない人生から少しだけ離れてみたかったり。

 先日読んだ心理学の本に、『自傷的自己愛』という言葉がありました。自分自身の愛し方がわからなくなってしまい、自分のダメなところは自分が一番わかっていると捻れた自己愛を持ってしまうこと。「こうありたい」という気持ち=プライドと、今の自分に対する肯定的感情=自信のアンバランスさに身動きがとれなくなり、瘡蓋(かさぶた)を剥がすように自分自身を傷つけ続ける中で、【刹那】たちは、自分の認め方、愛し方がわからなくなってしまった。だけどオンラインゲームの中でなら、居場所があるし役割がある。

 エンドレスストーリー(ES)の中で違う自分になって、違う人生を生き直すことで少しずつ立ち直っていく。

 だけど最後の一歩は、やっぱり自分自身に戻ってこないといけない。

 「ゲームでなら、頼れるアニキにも、面倒見のいいすごくいい人にも俺はなれる。だが、現実に目の前にいるこいつに対して、どうしていいか、わからない」

 これは、島に来たばかりのヒロに【刹那】がESの手ほどきをした時の言葉。ゲームの中で意外な積極性と陽キャラっぷりを発揮したヒロから、思わぬ打ち明け話をされるけれど、【刹那】はどうしたらいいのかわからない。

2023.08.28(月)
文=池澤 春菜(文筆家・声優)