「中世の枠組みが崩壊し、近世へ移行する過程の混沌の時代室町期を、21世紀に向けての動乱期の今と重ねあわせて、いかなる時代にも変わらぬ人間の根源となるものを描く」
「阿修羅のような少女」と「呪いをかけられた少年」の物語へ
そして主人公は「犬神に育てられ人間を憎む阿修羅のような少女」と「死の呪いをかけられた少年」と定められた。こうして『もののけ姫』という企画が本格的に動き始めることになった。
物語は、エミシの少年アシタカが、タタリ神と化したイノシシから呪いを受けるところから始まる。呪いのため村を去らなくてはならなくなったアシタカは、呪いの根源を求めて、西へと向かって旅立つ。
西方の地へと到達したアシタカ。そこにはエボシ御前率いる製鉄集団がタタラ場を構え暮らしていた。製鉄のためには、神々が住まう森を伐採する必要がある。そのため、人の子でありながら山犬に育てられた少女サンは、このタタラ場と対立していた。もののけ姫と呼ばれるサンは、森の伐採をやめさせるため幾度となくタタラ場、そしてエボシ御前に戦いを挑んでくる。
タタラ場と森の関係性は、「文明と自然の対立」として理解されることが多い。だがこの対立は結果に過ぎない。『もののけ姫』で描かれたのは、産業の発展とともにより大規模に自然を収奪せざるを得ないという、「近代化」の風景なのである。
タタラ場が「近代化」を体現しているのは同時に、産業の担い手という形で、外の社会では軽んじられがちな女性や病人などがひとりの人間として扱われていることからもわかる。近代化を推進するエボシ御前は、神々と対峙する罪をあえて引き受け、救済など求めない現代人として描かれている。
そして物語では、近代化の結果、神々の森は消えてしまい、人間の時代が始まる。「文明と自然の対立」といった現代にもなお起きている問題はこの時に始まったのであり、本作は近代化の始まりを、極めて寓話的に描き出した作品なのである。
なぜサンとアシタカは一緒に暮らさないのか?
当然ながら近代化に端を発する様々な問題は容易に答えが出せるようなものではない。だから本作にはカタルシスのあるようなラストは存在しない。そのかわり次の3つの点を強調することで、時代の転換点——答えの出ない時代の到来を描き出した。
2023.08.04(金)
文=藤津亮太