ひとつは「不条理」。アシタカが呪いを受けたのは、アシタカ自身に原因があるわけではない。その時代に生きていたひとりの人間として、時代に巻き込まれた結果、呪いを受けてしまっただけなのだ。これは現代に生きる様々な人間にも起こりうることだ。

 もうひとつは「不可逆」。中世から近世への転換の中で描かれた近代化はもとに戻ることのないプロセスである。神々の森は戻ることはないし、アシタカの受けた呪いがシシ神によって解かれたあとも、古傷のようになって腕に残ったままである。当時も現在も同じく、過去の幸福な時代へと戻るのは不可能なことである。

 そして最後は「未解決」。「不条理」で「不可逆」な状況から生まれる問題は、本質的な解決方法が存在しない。アシタカはタタラ場とサン、その両方の立場を理解しつつ、引き裂かれたまま生きていくしかないのである。

「不条理」「不可逆」「未解決」ということを伝えようとした時、心を解放するような飛行シーンは自然と封印せざるを得なくなる。これまでのジブリ作品では、エンドロールの時に、物語のその後を伝える映像がつけられていたが、本作はただの黒バックのままである。アシタカとサンの未来は、そのまま現代にいきる観客の未来であり、それは観客へと委ねられているのである。

 こうして『もののけ姫』は、「時代の転換点をえぐる」ことをやり遂げた。結果、異色の宮崎アニメとして完成したのである。

 そして「不条理」「不可逆」「未解決」を描いた内容だったからこそ、それを踏まえて「生きろ。」と訴えかけるキャッチコピーが見事にはまることになった。さらに1997年という、先の見通せない世紀末の時代の気分も重なり、本作は193億円(初回公開時)という歴史的大ヒットとなったのである。

 

『ハウル』『風立ちぬ』そして最新作にも…『もののけ姫』以降の宮崎駿に潜む“変化”

 興味深いことに『もののけ姫』以降、5本ある宮崎監督作品のうち、3作品が戦争を扱っているのである。しかも、そこで取り上げられる戦争は正面から扱われるのではなく、すでにそこにある所与のもの、一種の背景として扱われているのである。

2023.08.04(金)
文=藤津亮太