――「天下の政道、私あるべからず。生死の根源、早く切断すべし」という。

垣根 「次生死根源、早可截断」ってすごく厭世観が表れていると思う。僕はそこに自己の不在をすごく感じるんです。少なくとも自己愛はなかった人だろう、と。その自己愛の希薄さって、たぶん僕らにもある。

 昭和の時代はみんなもうちょっと自己愛が強かったけど、平成の時代にジワジワ小さくなって。令和はどうなるか分かりませんけど、何かを目指して「ここに猪突猛進します」みたいな感じの生き方よりは、その場その場の波に漂っていっている人間が多い気がします。

 それを批判しているわけではなくて、そういう生き方にならざるを得ないんだろうなと思う。こういう時代だと、生き残り戦略として、たぶん尊氏みたいな生き方が無意識には正しいんでしょうね。

 

「ついに自分のことを書きましたね」と言われたが…

――でも最終章で、尊氏は変わっていく。

垣根 師直が死んで、直義が死んでいくと、「俺どうしよう」となるんですよ。結局独り立ちするしかなくなっていく。

 話は違うんですけれど、僕、尊氏って個人としては超くだらねえやつと思って書いたんですね。こらえ性もないし、何も考えてないし、だらしがないし。そう考えながら本にしました。そしたら大学の時の友人から電話がかかってきて、「読んでみたら、尊氏がお前とダブって見えるんだけど」と言われて。

 その後、他社の編集者が電話をかけてきて、「垣根さん、ついに自分のことを書きましたね」みたいなことを言うんです。「え、俺ってあんなに駄目なの?」って、人に言われてはじめて気づきました。確かに僕は、仕事は一生懸命やっているつもりなんですけれど、他のことはまるで駄目なんですよ。書いている時以外は「今日何食おうかな」とか、そんなことしか考えていないです。でもそういう人は多いし、そういう人が笑って読んでくれればな、と思っています。

 実際、昔、女性に説教された時、「あなたは人として中身が薄い」って言われたことがあるんですよ。「薄い」って表現を人に対して使うのをはじめて聞いたと思って笑っちゃって、さらに怒られました。ずいぶん前の話なので、今はもうちょっとマシな人間になっていると思います。

2023.08.01(火)
文=瀧井朝世