〈「あるとき羊の味が変わったな、と思いました。優しくて、おだやかな味になった。なぜだろうと考えると、ちょうど鎌田さんが飼育を任され始めた頃でした。彼は羊を愛している。羊が安心している味なんですよね。……」〉
これは〈1章 羊〉に出てくる北海道・茶路めん羊牧場のことをよく知る人の言葉であるが、羊を愛すれば愛するほど、殺したときの肉質がやさしくなるわけだから、平松さんがいうように〈すさまじい話〉である。
ところが本書においては、このすさまじさが全編にわたり一貫しているのだ。つづく〈2章 猪〉では島根・美郷町の猪駆除の例が紹介されるが、その努力のなかにも同様のすさまじさが底流としてある。
美郷町の農家は猪の獣害をとめるために、これまでの自分たちの農業のあり方を真摯に反省し、勉強し、努力し、地域や畑づくりのあり方を根本から見直し、野生動物が近づきたくないような仕組みに変えた。つまり猪の行動を変えるのではなく、自分たちの暮らしを変えたのだから、これはまさに自然との調和とよぶにふさわしい行動である。でもその結果として駆除が進み、うまい猪の肉が獲れるようになりブランド化されたのだから、調和により猪が死んだともいえる。自然との調和とか、動物との共生というときれいごとに聞こえるが、本当の調和や共生はきれいごとではすまされない、人間側にも動物側にも覚悟と変革をせまるすさまじい話なのだ。でも、そうしないとわれわれは自然のなかで生きることはできないのである。
肉食には、単に栄養分を摂取することを目的とした生理学的行為にとどまらない意味がある。それは自然とよりよく付きあい、自らを自然のなかに位置づけ、正しい存在として律するための、人間としての根源的な文化的いとなみである。
そしてこのいとなみの深さは、ずばり味にあらわれる。
おそらく平松さんが本書で一番いいたかったのは、この点なのではないだろうか。旨い肉にはかならず理由がある。本書で書かれるその理由とは、つぎの三点だ。
2023.04.06(木)
文=角幡 唯介(探検家・作家)