阿部寛さんがドン底を見た男だということを、もう忘れている人・知らない人も多いかもしれませんね。
現在、阿部さんが主演しているドラマ『ドラゴン桜』第2シリーズ(TBS系)は、初回視聴率14.8%を記録し、4月期ドラマのなかでトップスタートを切った後も、高水準をキープ中。(※視聴率はビデオリサーチ調べ/平均世帯視聴率/関東地区)
そんな主演ドラマが絶好調の阿部さん、『ドラゴン桜』第1シリーズが放送された2005年ごろにはもうドラマや映画の主演を張っていましたが、長く低迷した暗黒期もあったのです。
今回は恋愛コラムニスト・恋愛カウンセラーである筆者が、阿部寛さんが2005年版『ドラゴン桜』に出会うまでの軌跡を振り返りたいと思います。
■パチンコで生計を立てる…阿部寛の暗黒期
1964年6月生まれの阿部さんは中央大学在学中、女性ファッション誌『non-no』(集英社)主催の第3回ノンノボーイフレンド大賞を受賞し、1986年創刊の男性ファッション誌『MEN’S NON-NO』(集英社)でトップモデルに。『MEN’S NON-NO』では43号連続で表紙を飾るという伝説を残しています。
やはりずっとスター街道を邁進しているじゃないか――と思うのは早計です。
1987年公開の映画『はいからさんが通る』で、主演・南野陽子さんの相手役として俳優デビューを果たすも、これが不遇時代の始まりだったのです。“モデル上がり”という偏見や、高身長すぎて相手女優との背のバランスが合わないといった要因で、次第に仕事が減少。
今の活躍ぶりからは信じられませんが、仕事がなさすぎて3年間ほどパチンコで生計を立てていた時期があり、バラエティ番組『あの人は今!?』(日本テレビ系)に取り上げられたこともあったそうです。
2018年の「西日本新聞」のインタビューで阿部さんは当時の心境を振り返り、「(『あの人は今!?』に取り上げられたことで)目が覚めた。イメージを気にしてやってる場合じゃないなって」と語っていたほど。
こうして一念発起し、1990年代後半は『成田離婚』(1997年/フジテレビ系)、『ハッピーマニア』(1998年/フジテレビ系)、『お水の花道』(1999年/フジテレビ系)といった人気連続ドラマのバイプレイヤーとして活躍できるようになっていきます。
2021.05.30(日)
文=堺屋大地