セブン‐イレブンより長く営業する魚屋に

安野 本当に面白い父ではありましたけど、まったく人と馴染めないタイプだから、友達とかも全然いなくって。

近田 仕事が友達みたいな感じだね。

安野 父は、ものすごく熱心に働いたんです。仕事が好きで好きでしょうがなくって、お正月も休まないぐらいだった。後にセブン‐イレブンが世の中に広まった時、うちの方が早くから遅くまでやってるって豪語してました。

近田 当初、セブン‐イレブンの営業時間は、その名の通り午前7時から午後11時までだったもんね。そんなに働いてたんだ。

安野 あまりにも魚への愛が深すぎて、「この魚は美味しいからぜひ食べてほしい」と必死にすすめるものだから、行商に回る先の家の人たちは、父が来たことを知ると、家族みんなで息を潜めて、障子の陰にじっと隠れてたらしい。

近田 落語みたいだよ(笑)。それで、商売は上手くいったの?

安野 その努力が実って、家を建てたんですよ。宮大工に頼んで、釘を一本も使わずに作った綺麗な家でした。

近田 それはすごい。

安野 その2階は、襖を開け放つと全部つながる大広間になっていて、宴会場として営業もしていました。生まれた街には置屋があったから、芸者さんを揚げたりして。

近田 粋だねえ。

安野 3、4歳の私も、着物姿でお客さんにお酌したりして。そんなこともあって、私、七五三の着物も自分で着付けできたんですよ。

近田 すでに、スタイリストの素質が片鱗を見せていたのかも。

安野 父親も、歌や踊りが得意だったんです。宴もたけなわになると、満を持して呼ばれた父親が板場から出てきて、田端義夫の「大利根月夜」に合わせ、お盆を持ってオリジナルの振り付けで踊り出したりして。それがまた、すっごく上手で。

近田 人と馴染めないタイプって言っていたけど、芸事は得意だったのね。

次のページ 高校卒業後、西武百貨店に入社し販売員に