ミュージシャンとしてのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて親交を重ね、交遊してきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズ「おんな友達との会話」。

 6人目のゲストは、新曲「愛は輪廻転生」と新刊『毎日少しずつ、柔らかい体になる! 健康美を叶える「ルミ子流ストレッチ」』が話題を呼んでいる小柳ルミ子さん。日本歌謡史に大きくその名を刻むミューズと近田さんとが出会ったのは、今から半世紀前にさかのぼる。エンタテイナーとしての英才教育を受けた幼少期から、トップの成績をキープした宝塚音楽学校時代、そして、国民的人気を誇る歌手デビュー後まで、波乱万丈のその半生に迫る!


知らないうちにレコード会社を移籍!?

近田 ルミちゃんがデビュー時に所属したワーナー・パイオニアというレコード会社は、アメリカのエンタテインメント企業であるワーナー・ブラザーズと日本の音響メーカーであるパイオニア、それからルミちゃんの所属する渡辺プロダクションの3社による合弁企業だった。

小柳 ええ。だから、スタッフもいろんなところからの寄せ集めだったんですよ。

近田 アメリカのメジャー資本が入っているだけあって、当初は、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなど、洋楽メインの会社という印象が強かった。ルミちゃんは、ワーナー・パイオニアにおける邦楽アーティスト第一号だったんだよね。

小柳 そうなんです。なので、1971年に、私のデビュー曲「わたしの城下町」が大ヒットした時は、もうみんな、「やったー!」って大喜びでしたね。

近田 日本ビクターや日本コロムビア、キングレコードといったドメスティックな老舗と比べたら、ワーナー・パイオニアには、新興レーベルならではの若々しい雰囲気があったよね。六本木にあったオフィスも、窓から光が降り注いで明るかったのを覚えてる。

小柳 「わたしの城下町」のみならず、私のシングルは、出す曲出す曲、次々と売れちゃって、大変な勢いだったんです。ワーナー・パイオニア設立に当たって渡辺プロから送り込まれた担当ディレクターの塩崎喬さんも、その後、朱里エイコさんやペドロ&カプリシャス、狩人を手がけて、「ワーナーの塩崎か(CBS)ソニー(ミュージック)の酒井(政利)か」と並び称される大ヒットメーカーになったし。

近田 ワーナー・パイオニアには、どのぐらい在籍したんだっけ?

小柳 1978年に、渡辺プロがワーナー・パイオニアから資本を引き上げ、SMSというレコード会社を新設したのに合わせ、私はSMSに移籍するんです。

近田 何しろ、ナベプロの看板歌手だもんね。

小柳 ところが、その件について私はあらかじめ何一つ知らされておらず、移籍は事後承諾だったんですよ。

近田 えーっ! そんなことあるんだ?

小柳 気がついたら移籍させられてたのよ。冗談じゃない。それを知った私は本当に怒りまくったんだけど、もう既成事実になっちゃってたから、後の祭り。

近田 今だったら大問題だよ。個人の権利が無視されてるんだからさ。

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