父の行商について行き“島倉千代子”で客集め
安野 最初は自転車から始めて、それがバイクになり、最終的にはオート三輪を使ってました。派手な色が好きで、オート三輪もフラミンゴのようなピンクだった。
近田 じゃあ、お父さんもお洒落だったの?
安野 いや、本人はといえば、バカボンのパパみたいなシャツに腹巻きを巻いて、ゴム長履いてるような人でした。
近田 お母さんはどんな人だったの?
安野 母は、父に対してただひたすら従順で、ずっと父の言うことだけを聞いてました。『ゆきゆきて、神軍』っていう映画があるじゃないですか。
近田 はいはい。奥崎謙三を採り上げたドキュメンタリー映画ね。
安野 奥崎さんに尽くす奥さんの献身ぶりを見た時、うちの母親にそっくりだと思いましたから。
近田 じゃあ、お母さんの方は家を守ってたわけ?
安野 家でよろず屋を営んでたんですよ。近所の人が小上がりに座って、しばらくお茶飲んでいくみたいなお店でしたね。家が商店だったから、小さい頃は、お店の棚に並んでるものは、何でも勝手に取って食べていいんだと思ってた。
近田 物心つかないうちは、そう考えちゃうかもね。
安野 保育園に行っても、勝手に園を抜け出して、近くのお菓子屋さんの棚から品物を取って手を付けちゃってたんです。そのたびに叱られても直らないもんだから、保育園をやめさせられちゃいまして。
近田 保育園中退とは、珍しいね(笑)。
安野 それからは、ずっと父親の行商について回ってました。行った先の街頭でお店を広げたら、私は、父が積み上げた魚の木箱の上に立って島倉千代子の「恋しているんだもん」なんかを歌い出す。すると、お客さんが集まり出すという仕組みでした。
近田 その風景、NHKの朝ドラみたいだよ。
安野 お弁当は、決まってしょっぱい鮭がおかずでした。いつも、父親と並んで古い木の橋の欄干に座り、足をぶらぶらさせながら食べたのを覚えてます。いまだに、しょっぱい塩鮭を口にすると父のことを思い出すんです。
近田 しみじみするねえ。
