夏の大分を巡る旅。豊かな自然がもたらしたのは、別府や湯布院をはじめとする名湯だけではない。日田の土と一子相伝が生んだ300年の伝統を訪ねる。
一子相伝で受け継がれた技
大分市から車を西へ1時間20分ほど走らせた場所に位置する、かつて政治・文化・経済において九州の中心をなした水郷・大分県日田市。“九州の小京都”とも呼ばれる日田の中心部を抜け、さらに自然豊かな山間へ向かうと、小さな茅葺屋根が見えてくる。「鹿鳴庵」。柳宗悦が「世界一の民陶」と評した陶器・小鹿田(おんた)焼を扱うギャラリーだ。
小鹿田焼の歴史は、16世紀末に起きた豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、朝鮮陶工を日本へ連れ帰ったことから始まる。その後江戸時代に、日田の山間地のかつての地名・小鹿田で開窯されてからは、300年以上にわたり、一子相伝でその技を守り続けてきた。12年前にオープンした鹿鳴庵は、現在も残る窯元9軒すべての作品を扱っている。
小鹿田焼の特徴について、鹿鳴庵のオーナー・佐藤哲也さんに聞いた。
「原料となる土を近くの山から採取し、川の水力で土を砕き、山から取ってきた木々の薪で焼く。一子相伝により300年前の技法がすべてそのまま残っているのが小鹿田焼の特徴かと思います。特徴的な技法としては、ろくろを回しながら鉋(かんな)をあてて連続的な模様をつける『飛び鉋』や、刷毛を小刻みにあてて模様をつける『刷毛目』などがあります。素朴さがあり、土っぽさをしっかり感じられる器です」
著名人も集う「世界一の民陶」の里
小鹿田焼を民藝運動の創始者・柳宗悦が称賛したのは冒頭に述べた通りだ。柳は「慶長頃から元禄にかけて旺盛を極めた朝鮮系の焼物が、今日ほとんど煙滅し去った時、ひとりこの窯ばかりは伝統を続けて今も煙を絶やさない」(『日田の皿山』1931年)と、手仕事によるその不変性を評価した。さらに、同じく民藝運動に加わっていた英国の陶芸家バーナード・リーチも来山し、小鹿田焼の里に約1カ月滞在したという。
「二人とも山の中にポツンと村があって、さらにそこで受け継がれる技法があまりにも手つかずだったことに驚いたでしょう。工業化が進むさなかで、日本にもこんなところが残っているのか、と。そこに強い感動を抱いたんじゃないかな。今でもここの風景は、300年前にタイムスリップしたような場所ですから」
はるか昔にタイムスリップしたような感覚。日田の山間には、柳が愛した不思議な魅力が今も残っているのかもしれない。実際、鹿鳴庵にはこの“変わらない”雰囲気を味わおうと、経営者や著名人がふらりと訪れるという。
「最近は世界各国の文化人や経営者が、この素朴感や癒しを得るために遊びに来るんです。お客さんが少なくて余裕があれば茶室にご案内して、一緒にお茶をすることも。携帯電話が通じやすい環境ではないから、デジタルデトックスにもなるのでしょうね。
でも富裕層や著名人に拘わらず、この地はフラットな状態で人々を受け入れる。特別扱いしないこと自体も、彼らにとっては良いことなのかもしれません。富も名声も関係なく誰もが、300年前と変わらない小鹿田焼の世界を愉しむことができるんです」
