「タモみがある」の意味は?
こういう「ありえない語尾をつける」という造語はたまに見られる。その例の一つとして、和山やまの漫画『女の園の星』(祥伝社)に出てくる「星先生観察ニッキャー」というのがある。女子高に勤務する主人公・星先生の「観察日記」をつけている生徒がこのように自称するのだが、日本語の名詞「日記」に、「~する人」という意味を持つ英語の「-er」をつけた「ニッキャー」という響きがたまらない。
また、スーパーでどのレジを選べば最速でお会計ができるか、その選択眼を競う架空の競技を描いた福井セイのギャグ漫画に『レジチョイサーよしえ』(サンデーうぇぶり)がある。この「レジチョイサー(choicer)」という用語は「レジをチョイス(choice)する人(-er)」という意図で作られたと思うが、動詞の「choose」ではなく名詞の「choice」に「-er」を付けているところが秀逸だ。「チョイサー」には何かしら、「チューザー」には替え難い響きがある。
こういう「本来ならばありえない組み合わせ」による造語というのは、その場かぎりのネタとして消費されることも多いが、中には日本語の言い回しとして広まるものもある。たとえばネットスラングで「わかりみが深い」などと言うときの「わかりみ」なんかがそれだ。もともと「-み」は「丸み」(「丸い」+「-み」)や「うまみ」(「うまい」+「-み」)のように、一部の形容詞に付くものだったが、「わかりみ」は「わかる」という動詞の連用形に「-み」が付いている。この手の表現については批判の声もあるが、「わかりみ」でしか表現できない何かが存在するのは確かだ。つい先日も、何かの番組で誰かが「タモみがある」という発言をしたのを聞いて、すぐに「まるでタモリのような感じだ」という意味だと理解できた。比喩を利用している上に、固有名詞に「-み」を付けるという、なかなかの組み合わせだ。
インパクトのある新語というのは、既存の表現からの逸脱による目新しさを持つと同時に、「何を意味しているかが分かりやすい」「そうとしか表現できない何かがある」といった条件を満たしているように思う。ふと、「この考察に従えば私にも何か斬新な言葉が作れるのでは」と思ったが、いざやってみるとなかなか思いつかない。どうやら私は「作る側」ではなく、目新しい言葉から好みのものを選ぶ「チョイサー」に徹した方がいいのかもしれない。
[注1]参考:巻島隆『飛脚は何を運んだのか』(ちくま新書)
[注2]参考:堀井令以知(編)『上方ことば語源辞典』(東京堂出版)
[注3]もっとも、これは「平気」と英語の「king(王)」を組み合わせた言葉である可能性も否定はできない。
川添愛(かわぞえ・あい)
言語学者、作家。九州大学文学部、同大学院ほかで理論言語学を専攻し博士号を取得。2008年、津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、12年から16年まで国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授。著書に、『白と黒のとびら』『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』『ふだん使いの言語学』『言語学バーリ・トゥード』『世にもあいまいなことばの秘密』『日本語界隈』(ふかわりょうとの共著)『「わかってもらう」ということ 他人と、そして自分とうまくやっていくための言葉の使い方』『パンチラインの言語学』『裏の裏は表じゃない』など多数。
文=川添 愛 イラスト=Akimi Kawakami
