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 10代での鮮烈なデビューから、今年で活動25年。Crystal Kayさんは、自分らしく歌い続けてきました。転機となったニューヨークでの挑戦、揺れるアイデンティティ、自信を育んだ道のり。そして、今なお道を照らしてくれる母の存在――。Crystal Kayさんの言葉には、人生のヒントが詰まっています。

【前篇】「理想の世界に近づいている気がする」デビュー25周年のCrystal Kayが音楽シーンで感じる嬉しい変化


ニューヨークでの自分との対話が最大のターニングポイント

――25年の活動の中で、自身にとって転機となった出来事や時期はありますか?

 ニューヨークへの移住や、憧れだった安室奈美恵さんとのコラボレーション、ミュージカルへの挑戦など、今まで経験したこのすべてがターニングポイントだったように感じています。

 なかでも、ツテも何もないまま、レコード契約を夢見て飛び込んだニューヨークでの暮らしは(2013~2015年に滞在)、自分という存在としっかり向き合えたこともあり、印象に残っています。ずっと日本にいたままだったら絶対に気づけなかったことにも目を向けられました。

 毎日が刺激的でした。日本で生まれ育った私は、私のようなミックスの子はそんなにいなかったので、自分のアイデンティティに対する問いをあまりせずに、コンプレックスを持ったまま育ってきました。日本ではあまり目立ってはいけないという風潮がある中、ニューヨークはその真逆。目立ってなんぼのダイバーシティの街なので、その街で上手くセルフピッチができない自分がいました。

 20代後半だったので、そのほかにも色々と悩んでいた時期で、ニューヨークにいる同世代の知り合いと話した時に、素敵なことを言ってくれたんです。「君はアメリカ人なのに、日本で20年近くものキャリアを持っていて、日本語と英語で喋れて歌えて、凄いじゃないか! もっと自分を誇りに思った方がいいよ!」と。

 その言葉のおかげで、新しい視点を獲得して考え方をシフトできたし、「自分」という存在を受け入れられるようになりました。今改めて思い返してみても、本当に学びの多い滞在でしたね。

――またニューヨークで暮らしてみたいですか?

 うーん。エネルギッシュではあるけれど、同時に孤独な街だとも感じていて。やりたいことが定まっていないとしんどい場所だとは思いますね。でも今年10年ぶりにニューヨークでライブをする予定なので、それはすごい楽しみにしています!

2025.06.25(水)
文=高田真莉絵
撮影=平松市聖
スタイリング=角田今日子(ポストファウンデーション)
ヘア=遠田眞里