32年間生きた経験が全然通用しないことが良かった

――確かに、すべての不幸は人と比べることから始まると言いますよね。
でも、ネパールで出会った若者たちは将来の夢とかなかったし、そもそも夢を持たなきゃとも思ってない。お金稼ぎにも興味がなくて、自分たちの街、自然、宗教、これを信じれば最高じゃん! みたいな、ぶれない強さがあった。もちろん、僕は競争社会を否定したいわけじゃない。どっちがいいとか優劣をつけたいわけでもないけど、旅に出る前の自分にとって、バンドをやめることは競争から降りることだった。そんな状態で旅に出て、競争社会の外側から自分を見ることができたのは大きかったと思います。旅の間はずっとひとりぼっちだったので、嫌でも自分としか会話できない。僕のことを知ってる人は誰もいないし、他人の価値基準を気にすることもない。そんな真っさらな「何者でもない自分」と向き合う時間が持てたことは、すごく大きかったです。
――日本にいると、どうしても他人の目からは逃れられないし、そんなふうに自分と向き合うことは難しいですよね。
どうしても東京にいると、自分が32年間生きてきた経験が思考の中に入り込んできて、あのときああだったからこんなふうになったとか、バンドマンとしてこれからどうしようとか、過去とか未来のことばかりに頭が行っちゃう。
でも、旅をしていると常に「今」を生きなきゃいけない。今この瞬間、押し売りから逃げるためにはどうしたらいいかとか、明日のこの電車に乗るためには今どうしたらいいかとか、そういう状況下では、これまで自分が積み重ねてきた経験値なんて全然通用しないんですよね。その場でとにかく走り回ってなんとかするしかない。そういう中で自分と向き合っていると、未来に対する不安でうじうじしていた自分がどんどん削ぎ落とされて、ダメな自分とか、自分が克服すべきものだと思ってたことも、受け入れられる方向に変わったんですね。
2025.04.04(金)
取材・文=井口啓子
写真=深野未季