こうした展開を踏まえ、本書では「そもそも『実利論』とは何なのか、何が記されているのか」という根本的な問いを掘り下げてみたい。「マンダラ外交論」から国内の統治、さらにはスパイの活用まで、具体的にはどういうことなのか。ほんとうに『君主論』が「たわいのないもの」と言えるほどなのか。『実利論』では戦争の戦い方に関しても多くの紙幅が割かれているが、『孫子』と比較するとどのような特徴を見出すことができるのか。

 また、『実利論』は最近になってにわかに関心が高まったわけではない。実は、二〇世紀前半にこの書は一躍脚光を浴びた。それ以降、古代インドの統治における体制や理念、社会の状況を知る上で必須の文献と位置づけられてきた。インドには『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』という二大叙事詩がある。これが物語を通じて今日までつづくインドの価値や感情といった観念を描いたものだとすれば、『実利論』は歴史書ではないものの、よりリアルな側面を克明に記したものだと言えるだろう。

 これらを踏まえた上で、『実利論』というレンズを通して現代の国際情勢やインド外交を見たとき、どのような像が浮かび上がってくるのか。それは従来の一般的な見方と何が違うのか。さらには、われわれが汲み取れる教訓はあるのか。こうした問いについては本書の終盤で論じていく。

 前述したように、『実利論』を理解するためには同書が描いた当時のインドの状況を把握しておくことが不可欠だ。著者とされるカウティリヤや彼が補佐したチャンドラグプタ王はいかなる人物だったのか。彼らが広大なインド亜大陸の大部分を統一するまでは、どのような王国が割拠し、その中でマウリヤ朝が勝ち抜けたのはなぜだったのか。まずは手はじめに、読者を『実利論』とカウティリヤに大きな関わりを持つ、二つの都市の物語に誘うことにしよう。


「序章 マックス・ウェーバーとキッシンジャーを唸らせた『実利論』」より

『実利論』 古代インド「最強の戦略書」

定価 1,133円(税込)
文藝春秋
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2025.03.16(日)