とくれば、職業外交官からモディ首相によって外相に抜擢されたS・ジャイシャンカル氏も『実利論』に触れるのは至って自然なことと言えるだろう。同氏は初の著書『インド外交の流儀 先行き不透明な世界に向けた戦略(The India Way: Strategies for an Uncertain World)』(二〇二二年に拙訳で白水社より刊行)で、「インドの戦略思想、なかでももっとも特筆すべきカウティリヤによる『実利論』では、政治的問題にアプローチしていく際に、『連合、補償、武力、策略』が重要であることを強調している」と記している。また、二〇二四年一月に上梓された次著『Why Bharat Matters』(『インド外交の新た戦略 なぜ「バーラト」が重要なのか〈仮題〉』(二〇二五年に拙訳で白水社より刊行予定))でも、『実利論』の名前こそ出していないものの、インドの「マンダラ的世界観」にもとづいた外交論を展開している。

 もうひとつ興味深い現象がある。インドの書店に行くと、カウティリヤや『実利論』からビジネスや人生のヒントを読み取ろうとする本が増えてきているのだ。日本でも「『孫子の兵法』に学ぶビジネス成功の秘訣」といった類の本は少なくないが、それとよく似た傾向と言える。さらには『実利論』をどう活かすかについての青少年向けの本まで出ている。カウティリヤ自体はそれ以前からインドでは連続テレビドラマになるなど、人口に膾炙した存在なので、とっつきやすいのかもしれない。

 インドでのこうした動きは、日本にも及んでいるようだ。二〇二三年に、なんとカウティリヤとチャンドラグプタを主人公としたコミックの連載が『ヤングマガジン』(講談社)で始まったのである。タイトルは『ラージャ』(「王」の意)。二〇二五年一月現在で連載をまとめた単行本も二巻刊行されている。これまでのところ『実利論』そのものは取り上げられていないが、古代インドで知勇をふるい覇権をめざす若き二人の活躍が描かれている。

2025.03.16(日)