(3)タイトル「カムカムエヴリバディ」に象徴される「多様性」

 第2回で、安子(幼少期:網本唯舞葵)は「お菓子を作る人になりたい」と願うが、「女は職人にはなれない」と言われる。また同じ回で、安子の兄・算太(濱田岳)は「ダンサーになりたい」と言うが、「男はダンサーになれない」と言われる。女ばかりじゃない、男ばかりじゃない、昔はみんな社会規範に基づいた「役目」を強いられ、抑圧されていた。そういう時代だった。すでに第2回のこの作劇からして、本作の作り手たちが一方的な描写はせず、多方向からの視点を持ちながら物語を作っていることが見てとれる。

 大正14年生まれの安子、昭和19年生まれのるい、昭和40年生まれのひなた。ヒロイン3人とも、ごく普通の暮らしを営む一市民だ。そして、その時代だからこその、それぞれの苦悩がある。彼女たちがどんな人生を歩み、どんな選択をしていくのかを通じて、「思想の歴史」「女性の解放までの変遷」が映し出されている。

 本作のパッケージは「100年のファミリーストーリー」であるが、「100年を歩んできた様々な人たちの群像劇」とも解釈できる。視聴者の中には、家族に恵まれなかったり、家族に対して複雑な思いを抱いている人だっているだろう。かくいう筆者もそのひとりだ。けれど、そんな人たちにもこの朝ドラは「みんないらっしゃい(Come, come, everybody)」と呼びかける。「家族」とは、血のつながりだけを意味するものではない。どんな人も、自分自身の「ひなたの道」を見つけて進んでいけば、人生は輝く。こうしたメッセージが、3人のヒロインと、彼女らが関わる様々な属性、様々な境遇の人々の姿を通じて発せられる。

 第2回で、菓子職人の修行中だった算太が形の悪い大福を作り、「人間だって、ちょっとはみ出すぐれえが味があろうが」と言う。「カムカム」には偉人も聖人君子も出てこない。これは、「○○が当たり前の時代」に、そこから「ちょっとはみ出」した人たちが、自分らしい「ひなたの道」を見つけて、生きて、明るい未来を祈り続ける物語。

 ちなみに今回の再放送はオンエアと同時に、また放送後1週間、NHKプラスでも視聴が可能だ。安子にラジオ英語講座を勧めた稔の言葉を借りて、「明日の昼、12時30分にテレビ(端末)をつけてみて」と書き残し、本稿を閉じたい。

2024.11.22(金)
文=佐野華英