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インターネット前夜の90年代からクロスオーバーしていた
80年代、筒美京平さんらとともに歌謡界でヒットを飛ばし続け「中身がスッカラカンになっちゃった」松本さんは、90年代に入ると、日本の古典芸能や西洋のクラシック音楽の研究など自身の趣味に没頭する休養期間に入った。そして、再び作詞活動を開始すると、いきなりヒットチャート1位を獲得する。97年、KinKi Kidsの「硝子の少年」だ。興味深いのは、メジャーフィールドを賑わせつつ、新しい世代とも積極的に関わっていたことだ。自身のウェブサイトを作り、川勝さんと交流し、chappieの曲を書き、2004年には、新しい才能を発掘するためのインディーズレーベル「風待レコード」を立ち上げ、キャプテンストライダムというバンドのデビューを後押しする。
いまの時代、あらゆる分野をクロスオーバーしながら活躍するのは珍しいことではない。でも、松本さんは、インターネット前夜の90年代からそうだった。いや、もっといえば、インターネットの影も形もなかったはっぴいえんどの頃からそうだった。70年代にロックと文学を融合させ、80年代になると歌謡界にその風を吹き込んだ。ひとつの場所に安住せず、いろんなところへ足を延ばすことで、世界を繋ぎ、カルチャーをつくり、方々に「風街」を広げている。
「さて。そろそろ夕飯の時間だよね。この近所に行きつけの天ぷら屋さんがあるんだ。小津安二郎も常連だったお店。そこの天丼『小津丼』が美味いんだ」
ディモンシュでパフェを堪能した松本さんが言った。「え、また食べるんですか?」とビックリして時計を見ると、午後6時。辺りはすっかり暗くなっている。「夕飯、お腹に入りますかね?」と聞くと、「うん。甘いものは別腹に入ってるから」と松本さんは笑った。
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》「松本隆と歩くぼくの風街 #2」を読む
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松本隆(まつもと・たかし)
1970年にロックバンド「はっぴいえんど」のドラマー兼作詞家としてデビュー。解散後は専業作詞家に。手がけた作品は2,000曲以上にもおよぶ。
2024.11.17(日)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖