鎌倉の定番みやげとして愛され続ける「豊島屋」。甘いお菓子で鎌倉という地の魅力を切り取り、全国に届けています。130周年を迎えた2024年、出版された本はその名も『いざ、豊島屋』。読めば読むほど鎌倉へ、豊島屋へ出かけたくなる一冊です。
この本の作者は、その名も「豊島屋を愛する委員会」。豊島屋を愛して止まないメンバーが綴る、不動の名物「鳩サブレー」について抜粋でお届けします。
鎌倉といえば、鳩サブレー
鎌倉といえば“鳩サブレー”と、思うようになったのはいつの頃からでしょうか?
鳩サブレーが生まれたのは、創業から3年後の1897年頃のことだそうで、お店を開いて間もない初代が偶然、来店した外国人の方にこぶしほどもある大きなビスケットをいただいたことから。ジャンヌ・ダルクが馬に乗り、槍をかざしている図柄が刻まれたそのビスケットの味わいにいたく感激した初代は、これからの子どもたちにはこんな味わいのものが喜ばれるのではないかと閃き、日夜試作に励んだそうです。けれども明治時代に鎌倉でバターを手に入れるのはそう簡単ではなく、まずはバターを仕入れるために横浜の異人館に行くなど、材料集めから大変だったようです。
その後も、明治の時代にバターが入った焼き菓子が受け入れられるには、かなりの時間がかかり、初代はご近所に配ったりして認知度を高めるのに励みました。けれども、ときには犬の餌になっていたなど悲しいことも。それでもこの味は絶対に人気になると信じ、噓のない丁寧なお菓子作りに励んできた初代。そんなとき、戦争で原料の砂糖が手に入らなくなったこともあり、信念であった“良い菓子”が作れなくなったのでは意味がないと一時的な休業を決めたのが1941年のこと。
そこからは工場も陸軍の軍需産業の下請け作業や食糧を作るなどしてきました。ようやく終戦になり、配給された材料でなんとか鳩サブレーを作ってみるも、まったくもって今まで自分が作ってきたようなものにはならず、材料がきちんと手に入り、思い通りのものが作れるまでは店は開けられないと言い続けてきた初代でしたが、ふたたび、鳩サブレーが作れる日を待つことなく、天に召されてしまったそうです。
鳩サブレー誕生までには長い間の苦労があったというわけです。考えてみれば、100年以上続くお菓子なのですから、ポンと急に出てきたものとは違う、年輪があります。こうした話はもとより、このお菓子が鳩サブレーと名付けられるようになった由来や、それを語呂合わせの良さから鳩三郎と初代が呼ぶようになったこと、なぜ、鳩の形なのかということなどは、缶入りの鳩サブレーを購入すると入っている冊子「鳩のつぶやき」を読んでいただければと思います。
初めてその冊子を手にしたときは、鳩サブレーがこんな熱い想いから生まれたお菓子なのだと知り、目頭が熱くなりました。今も時々、手にしては読み返しますが、やはり同じ想いになります。しかもこれが捨てられないので困る。うちに何部あることか。那須良輔画伯による絵とともに記された鳩サブレー誕生のお話は、今なお真摯にお菓子作りと向き合う姿のはじまりとして興味深く読めるものであり、ますます豊島屋のお菓子が好きになる話でもあります。
2024.09.20(金)
文=赤澤かおり
写真=広瀬貴子