ただしブロックの連作には単発作品とはまた違った楽しみがある。キャラクターがだんだんと変化していくという要素があるのだ。たとえば殺し屋ケラーものは、第一作品集の『殺し屋』を読んだときには、感情を排した本当の意味の非情さをこの作品が実現した、と思ったものである。ケラーが、まったく内面の描かれない空白のような人物として描かれていたからだ。だがケラーは後に切手しゅうしゅうという趣味を発見し、キャラクターとして深化を遂げていく。スカダーも同様で、年代別に短篇が配置されている『石を放つとき』を読むと、その心境に迫れるような心地がする。おそらくブロック自身がケラーやスカダー、そしてバーニーを執筆しながら発見しているのであり、その驚きを読者は作者と共有しているのである。それがローレンス・ブロックを読む楽しみでもある。

 ではエイレングラフはどうなのか。先に本連作においてはあえて物語の定型が固定されていると書いた。そういう形で書かれる物語ゆえの醸成、同じ器を手がけ続ける陶匠にしか出せない深みというものが本作には感じられるのである。

 これ以上の多弁は無用だろう。どうぞ物語をお楽しみいただきたい。弁護士が咲かせる悪徳の花は、鼻孔をらんさせるほどに濃厚な香りを放つ。耽溺しすぎぬよう、ご用心の程を。

エイレングラフ弁護士の事件簿(文春文庫 フ 35-1)

定価 1,210円(税込)
文藝春秋
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2024.09.12(木)
文=杉江 松恋(書評家)