ブロックはあまり若い頃の話をしない作家で、よくわからない部分も多い。一九五八年には〈マンハント〉二月号に「習慣をやぶった男」(邦訳は日本版同誌一九六二年九月号)。〈オフ・ビート・ディテクティヴ・ストーリーズ〉九月号にMurder is My Business(言うまでもないが、殺し屋ケラーものの「ケラーの最後の逃げ場」とは別の作品)、〈ギルティー・ディテクティヴ・ストーリー・マガジン〉十一月号にThe Bad Nightを発表している。その後数年の間に〈トラップド・ディテクティヴ・ストーリー・マガジン〉、〈トゥー・フィステッド・ディテクティヴ・ストーリーズ〉、〈エド・マクベインズ・ミステリー・ブック〉などのマイナー専門誌に短篇が載っており、あちこちに投稿しまくっていたことがわかる。

 駆け出しの頃、ブロックはさまざまな筆名を使って書いていた。ドナルド・E・ウェストレイクと一緒にソフトコア・ポルノも量産していたことは有名で、川出正樹が『ミステリ・ライブラリ・インヴェスティゲーション』(二〇二三年。東京創元社)で、シェルドン・ロード名義の作品が大胆な翻案で日本でも刊行されていたことを突き止めている。邦訳されて埋もれたままの作品にも、もしかすると未発見のブロックがまだあるかもしれない。

 ゴーストライターの経験も多いと思われる。小森収が『短編ミステリの二百年2』(二〇二〇年。創元推理文庫)所載の評論で書いているように、クレイグ・ライスの遺作短篇と思われていた「セールスマン殺し」(荒地出版社『年刊推理小説ベスト18』所収。同書は一九六三年刊)は、ブロックの代筆であったことが二〇一八年になって明かされた。遺作の代筆といえば、コーネル・ウールリッチの絶筆となった遺作『夜の闇の中へ』(一九八七年。ハヤカワ・ミステリ文庫)も、ブロックが補筆して完成させている。この本が一九八八年に邦訳された際、ウールリッチといえば古典の域に入る人だと思っていたのでブロックという「現代」作家が書き継いだことを不思議に感じたのだが、なんのことはない。ライスが亡くなったのは、一九五七年。ブロックのデビューはその直後だから、新米のころから上の世代とつながりがあり、万が一の代作を任されるような立場にいたということだ。それを考えれば、後にウールリッチの絶筆を任されたのも自然な経緯のように思われる。フレデリック・ダネイがブロックに悪徳弁護士ランドルフ・メイスン・シリーズの後継を書かせようとしていた、という経緯については本書のあとがきで詳しいので、そちらをどうぞ。

2024.09.12(木)
文=杉江 松恋(書評家)