短篇作家としてのブロックは、どちらかといえば〈アルフレッド・ヒッチコック・マガジン〉派だった。同誌一九六三年一月号の「狂気の行方」(『バランスが肝心』所収)を皮切りに、数々の作品が掲載されている。とても短いが切れ味抜群の「おかしなことを聞くね(別題:中古のジーンズ)」(一九七六年八月号)、ブロックの短篇では最も名高い「アッカーマン狩り」(一九七七年七月号。両篇とも前掲『おかしなことを聞くね』所収)など、代表作の多くが同誌に掲載されている。

 一九八〇年代に入るとブロックはヒット作が出て長篇中心の作家になるので、一九七〇年代後半が、短篇作家としては最も旬だったのかもしれない。まさにそうした時期にエイレングラフ弁護士シリーズは開幕したのである。

 小森収は前出『短編ミステリの二百年1~6』に分載された評論において、小説誌から作家がデビューするのが普通だった時代が終わってペイパーバックの長篇が主流になったため、短篇ミステリーが衰退していった経緯を明らかにしている。その中で、残り火的に実力を発揮した作家の一人としてブロックの名を挙げているのである。ブロックが作家としての下積み時代を送ったのは、短篇ミステリーの良作が狂い咲きのように書かれた一九五〇年代末から一九六〇年代にかけてであり「現役の作家で、その水準が身に染みている唯一の存在」であるがゆえに他の作家とは一線を画しているのだ、と小森は指摘する。その通りであろうと思う。

 ブロックはアメリカ探偵作家クラブ(MWA)が毎年発表するエドガー賞の最優秀短篇賞を四回受賞している。一九八四年発表の「夜明けの光の中に」(『石を放つとき』他所収。二〇一一年・二〇一八年の二短篇集の合本版。二見書房)、一九九三年の「ケラーの治療法」、一九九七年の「ケラーの責任」(ともに『殺し屋』所収。一九九八年。二見文庫)、二〇一七年の「オートマットの秋」(『短編画廊』所収。二〇一九年。ハーパーBOOKS)が受賞作である。このうち「夜明けの光の中に」がマット・スカダーもの、最後の一篇を除く二篇が殺し屋ケラーものである。単発作品での受賞の方が少ないというのは時代のすうせいを感じる。短篇が売り物になりづらく、雑誌掲載でもシリーズものが多く書かれるようになった状況を表しているのであろう。

2024.09.12(木)
文=杉江 松恋(書評家)