上杉鷹山は江戸中期の米沢藩主である。鷹山は「治者は民の父母」をモットーに、武士道精神、とりわけ惻隠に満ちた政治を行なった人である。現在、世界のどこの国に、こんな首相や大統領がいるだろうか。上杉鷹山を思うと、アメリカの喧伝する民主主義が色褪せたものにさえ見える。

 明治時代の三人は、日本人の美質に加え、明治の時代精神を体現した人を選んだ。明治の時代精神とは、第一に国家的精神である。国家と自己との一体感である。明治の人にとって国家はすでにでき上がったものでなく、維新の動乱以来、その形成過程を目撃し、それによる変化を実体験しているから、自分が国家形成に参加した当事者の気分でいた。だから日清戦争勝利後に三国干渉を受け、せっかくとった遼東半島を返還させられた時は、皆が悔し涙をこぼし、一九〇二年に日英同盟が結ばれた時は、日本中が嬉しさのあまり門に日の丸を飾ったのである。日清日露の両戦役はもちろん、欧米各国との間に結ばれた不平等条約の改正とか自由民権運動などに関しても、すべての国民が傍観者ではなく、当事者としての強い関心を持っていたのだった。

 この国家精神はナショナリズムに近いものであったが、帝国主義の吹きすさぶ当時において、日本の独立自尊のためには仕方ないものであった。キリスト者の内村鑑三も、社会主義者の幸徳秋水も熱烈な愛国者であった。

 第二に進取の気性である。文明開化は、国家が欧米の進んだ科学技術や社会制度などを取り入れたばかりでなく、封建時代の身分制度をはじめとする閉塞感から解放された個人が、新しいことに挑戦し始めた時代でもあった。

 第三が武士道精神である。武士は消滅したが、明治になっても武士道精神は残った。すなわち誠実、勇気、惻隠、卑怯を憎む心、名誉と恥の意識、献身などである。これらはおそらく縄文時代からの日本人の道徳の中核だったから、維新という体制の大激変にもかかわらず残ったのである。この三つは日本人の美質でもあるから、これらを体現した人として、誰でも知る福沢諭吉、余り知られていない柴五郎、ほとんど知られていない河原操子を選んだ。

 内村鑑三は『代表的日本人』を、日本人を見下す外国の人々に、日本人の深い精神性を理解してもらいたいとの思いから執筆したが、私は本書を、人間にとって最も大切といえる道徳において、周回遅れで前に見える欧米を、見上げてばかりいる日本の人々に、日本人の美質を思い起こしてもらいたいとの思いから執筆した。それを体現した人々の苦闘と栄光を知ることで、占領軍によりズタズタにされた祖国への自信と誇りを取り戻すきっかけになればと思う。十九世紀の英国人社会思想家サミュエル・スマイルズの言葉を思い出す。

「国家とか国民は、自分たちが輝かしい民族に属するという感情により力強く支えられるものである」


「はじめに」より

藤原正彦の代表的日本人(文春新書 1459)

定価 990円(税込)
文藝春秋
» この書籍を購入する(Amazonへリンク)

2024.08.01(木)