「どういうネーミングセンスなんだろうねえ」

 椎ちゃんが「関西ウォーカー」の映画紹介欄をめくりながら、あくびをする。

 消灯時間まであと十分。私は立ち上がり、椎ちゃんとの間の仕切りをするすると下ろした。

 野分ちゃんの言うとおり、隣人との間に下ろすすだれを、寮生たちは「御簾」と呼んだ。

 確かに奇妙なネーミングセンスであるが、平安時代的と言えるものは、「にょご」「壺」「御簾」くらいで、あとはごく一般的な名称が使われていた。一日二度、用意される食事も朝食に夕食。まさか朝餉(あさげ)夕餉(ゆうげ)と呼ぶはずもない。

 いや、違った。

 ひとつ、大事な呼び名を忘れていた。

 北白川女子寮マンションでは、にょごたちの部屋のことをこう呼んだのだ。

(つぼね)」と。


 お局様という言葉がある。

 職場における、いけずな古株女性を揶揄(やゆ)するニュアンスで用いられるこの「局」だが、本来は部屋を意味する言葉だった。

 平安時代、天皇が住む内裏に勤める女官たちは、建物に仕切りを設け、自分たちの私室とした。このプライベートスペースこそが「局」だった。

 その後、身分の高い女性の職名として使われるようになり、江戸時代、大奥に君臨したことで有名な将軍家光の乳母は、日本の局のトップランナーとして天皇から「春日局」の称号をいただいた――、これも椎ちゃんが教えてくれた蘊蓄(うんちく)である。

 部屋のことを局と称する独自のしきたりは部屋番号を呼ぶ際にも適用され、たとえば「三号室」ならば「三番(つぼね)」と変換がなされた。

 いちいち面倒なことを、と思わないでもない。だが、慣れてしまうと案外、気にならないものである。当時は携帯電話が完全には普及しておらず、寮監先生の部屋の前には黒電話が設置され、外部からかかってきた電話を寮監先生が取り次いでいた。

「棕櫚壺、二十八番(つぼね)竹河(たけかわ)さん――、ご実家からお電話です」

2024.07.08(月)