雑誌社を29歳で退社後、美容ジャーナリスト・エッセイストとなった齋藤薫さん。34歳でヘアメイク事務所「ラ・ドンナ」を設立、3年前にヘア&メイクアップアーティストを引退し、現在はビューティー・ライフスタイルデザイナーとして活動する藤原美智子さん。
日本のビューティを50年にわたって切り開いてきた2人の出会いは、20代の頃、1980年代初めの婦人画報社でした。タッグを組んでつくったメイクページや、その後フリーになってからの活動、後進の育て方や健康維持、そして人生後半の“お金”について二人が語りました。『週刊文春WOMAN2025夏号』より、対談の一部を編集の上ご紹介します。

アシスタント募集を、たまたま見つけて勢いで応募
藤原 今日は薫ちゃんとのツーショットがあるから、ブラックの装いにしました。きっと黒を着てくるかなって(笑)。
齋藤 ありがとう(笑)。美智子の新刊『何歳からでも輝ける秘訣』、素晴らしかった。ヘア&メイクアップアーティストを64歳で引退してから、もう3年になるのね。
藤原 そうなの。34歳で立ち上げた会社「ラ・ドンナ」も同じ年に解散して、今はビューティ・ライフスタイルデザイナーという肩書なの。薫ちゃんは今、いくつになるの?
齋藤 3つ上だから、69歳。初めて会った時はお互い20代だった。私は1980年に婦人画報社に入社して、創刊したばかりの女性誌『25ans』の編集をしていました。82年からビューティのページを担当したのだけれど、美智子には本当にお世話になった。
藤原 一緒に仕事をするようになったのは私が22歳の頃かな。高校卒業後、美容室をしていた実家を継ぐために美容学校に入ったのだけど、卒業間際に、ヘア&メイクアップアーティスト・松永タカコさんのアシスタント募集を女性週刊誌でたまたま見つけて勢いで応募したの。そしてヘアメイクが何かもよくわからないまま、この職業に就いたの。
私、パウダーの粒子一粒一粒が見えるの
齋藤 最初はファッションぺージを依頼したのよね。私が組んでいた編集部の男子が面食いで「藤原さん、可愛いじゃん」という不純な動機で。
藤原 そうだったの(笑)!?
齋藤 だけど現場でもうびっくり。まず勘の良さが超一流で、企画を伝えた途端にすべてを理解してくれる。技術とセンスは言うまでもなく素晴らしくて、芸術の域。レタッチなんて必要ありませんから。
藤原 私、パウダーの粒子一粒一粒が見えるから(笑)。
齋藤 それですぐ、私が担当しているビューティのページを毎月一緒にやってくださいとお願いして。当時『25ans』の編集者だった(エッセイストの)光野桃ちゃんと3人で企画会議をしてね。
藤原 今は数々の美容雑誌があるけれど、そのスタンダードをつくったのが『25ans』のビューティコーナーだった。
齋藤 それまでは化粧品会社のタイアップが中心だったけれど、もっと身近な“おしゃべり”みたいなページをつくっちゃった。「マスカラが滲んでパンダ目になっちゃう」とか、どんなに小さな悩みも拾い上げて美智子に聞いて。
2025.07.04(金)
文=岩嶋悠里
写真=平松市聖