部屋番号、否、局番号を告げる寮監先生の声が、土日になると頻繁に館内に響いた。ちなみに、私の一回生時の部屋は「薔薇壺、十一番局」だった。
「部屋のことを局と言うなら、寮のことも何かに言い換えたらいいのに」
「寮は平安時代も使っていた言葉だからね。当時から寄宿施設という意味だったし」
何でも知っている椎ちゃんだったが、流行のJポップにはとんと疎かった。野分ちゃんが「ねえ、聴いてよ。十六和音の機種に交換したんだ」と流行りの曲を、携帯電話に一音ずつ手打ち入力した自作の着メロを披露しても、どこまでも反応が薄く、「つまんないなあ」とよくクレームを受けていた。
「自分を信じてゆくのだぴょ~ん」
携帯から鳴り響く、独特な音色の和音とともに、野分ちゃんがハスキーボイスで歌っていたあの頃、どれくらいの数の学生が寮内で生活していたのだろう。正確なところはわからないが、東西の建物合わせて百数十人が生活していたはずだ。はず、というのは定員は百五十名と決まっていたが、一人、また一人と砂がこぼれ落ちるように寮を離れていくからだ。
ネックは何といっても門限の存在だった。
門限十時、消灯十一時。
どんなことがあっても揺るがぬ鉄則だった。
遊び盛りの大学生には厳しすぎる制約だったかもしれない。でも、入寮の際に両親はもちろん、ときに本人もが抱く希望として「安全で堅実な学生生活を送る」という大命題があるわけだから、そこは致し方ない。
ただし、飲み会を早く切り上げて帰ることはできても、問題はアルバイトのシフト時間だ。学校の授業が夕方に終わり、それからアルバイトに励もうにも、午後九時半には上がらないといけない。これでは稼げないし、そもそも勤務先のシフト予定に組みこんでもらえないこともある。
こうなると、学費を自分で稼がねばならない学生は苦しい。夏休みを終えたあたりから、新入生のなかで退寮者がぽつり、ぽつりと出てくる。もちろん、退寮の理由はアルバイトだけではない。彼氏ができたとか、寮生活が肌に合わなかったとか、留学することになったとか、様々だ。
2024.07.08(月)