「壺っていうのは中庭のことだよ」
少しカエルに似ていなくもない愛らしい顔で、椎ちゃんはケロリと答えた。
「それって関西弁?」
ちがうちがう、と彼女は笑いながら手を振った。
「もっとむかしの言葉」
平安時代、天皇が住む内裏の中に、さらに妃たちが住むエリアがあった。妃たち、すなわち女御のみなさんの住居には中庭が設けられ、人々はそれを壺と呼んだ。その壺の植栽によって、建物の呼び名がつけられたのだという。たとえば、藤の木が植えられていたなら「藤壺」、梅の木なら「梅壺」というように――。
「だから、薔薇壺? 中庭に薔薇園があるから?」
棕櫚があるから棕櫚壺だし、そうなんじゃない? 関心なさげにうなずく椎ちゃんは、私とは違う大学に通う文学部の学生だった。
すると、椎ちゃんの向こうで、柏木野分ちゃんが、
「ここってさ、そういうの好きだよね。これも『御簾』って言うらしいし」
とすでに敷いた布団に寝転がったまま、片足を天井にすっと伸ばした。足が示す先には、巻き上がった状態のすだれが見える。
野分ちゃんと言えば思い出すのが、ストラップだ。多分にギャル気質強めだった野分ちゃんは、これでもかというくらい携帯からストラップを垂らし、常にじゃらじゃらと派手な音を鳴らしていた。
私が京都にやってきた二〇〇一年といえば、写真を携帯電話からのメールに添付して送ることが最先端だった時代。写真付きメールを「写メ」と呼び始めたのもこのあたりではなかったか。当時、まだ元気だった日本の電機メーカーは競って携帯の機種端末を販売していた。どれほど小さく、軽くするかが、各社喫緊の課題であり、
「さんざん頭をひねって、やっとのことで一グラム軽量化しても、高校生の女の子が百グラムのストラップをつけてしまう」
とぼやく開発者のインタビュー記事を読んだときは、野分ちゃんの七夕の笹飾りのようなストラップの束を思い出し、笑ってしまったものである。
2024.07.08(月)