二年前、私も自宅の庭で、中学生の娘と薔薇の栽培にチャレンジしてみたが、あんな面倒なものとは知らなかった。種から育てようと試みるも、二年経っても花は咲かず、そのまま夏の猛暑にやられ、無念の枯死を見届けることになった。
今となってはわかる。寮監先生の園芸の腕前は相当なものだった。五月の中ごろから中庭でいっせいに花を咲かせる色とりどりの薔薇こそが、建物のシンボルであることは言うまでもなく、にょごたちはこの西側の建物を「薔薇壺」と呼んだ。
一方、東側の建物の中庭には、中央に水の涸れた噴水が置かれ、それを囲むように背の高い棕櫚の木が四本立っていた。こちらの庭はコンクリートで地面のほとんどが固められていたこともあって、寮監先生も緑を植える隙がなかったと思われる。築五十年近い寮の建物の雰囲気をぞんぶんに漂わせながら、円形の噴水に面して古ぼけたベンチがさびしげに並ぶばかりだった。西と呼応するように、にょごたちはこの東の建物を「棕櫚壺」と呼んだ。
「何なの、壺って?」
当然、私は訊ねた。
訊ねた相手は隣のシマの椎ちゃんこと椎本初音である。
新入生には一部屋につき三人で共同生活を送るという、相部屋ルールが適用されていた。
十畳ほどの部屋を三つに仕切り、隣人のシマとの間にはすだれを下ろす。各人の持ちスペースとして壁際に勉強机代わりのちゃぶ台、その右側に本棚が設置されている。部屋の明かりが強制的に消灯されるのは午後十一時。たとえば、それまであぐらをかいた姿勢でちゃぶ台机に向かっているとすると、背中側の空いたスペースに布団を敷く。それだけで個人のテリトリーがすべて埋まってしまう狭小空間だったが、不満はなかった。むしろ、すだれを隔てて、すぐ隣に友人がいるという心強さが、一度もホームシックにかかることなく、京都での新生活に馴染むことができた、いちばんの要因だったように思う。
2024.07.08(月)