「いいですか?」
青年の名は勅使河原仁という。初めての店なので、一度店の中をぐるりと見回してから、やや遠慮がちに尋ねた。
「どうぞ、どうぞ。お好きなお席に」
と言っても七席しかないが。
仁は真ん中を避けて端から二番目の椅子に腰を下ろした。秋穂がおしぼりを差し出すと、受け取って手を拭きながら、壁に貼った品書きの紙を見上げた。すると、どうしても数々の魚拓が目に留まる。
物珍しそうに魚拓を眺める初めての客に、秋穂は予め断りを入れた。
「お客さん、ごめんなさいね。あれは亡くなった主人の趣味で、うち、鮮魚料理とかないんですよ」
仁は改めて秋穂の存在を思い出したように目を戻した。
「ええと、ホッピー下さい」
特にガッカリした声音ではないので、まずはホッとした。
ホッピーは居酒屋の定番だが、登場したのは戦後間もなくで、当時高嶺の花だったビールの代わりに、ビールテイストの炭酸飲料に焼酎を入れて飲むようになったのが始まりだ。低カロリーで低糖質、プリン体ゼロなので、最近は女性にも人気がある。
「はい、どうぞ」
氷と焼酎を入れたジョッキに、ホッピーの瓶を添えて出した。マドラーでかき混ぜない方がホップの風味が際立つ。
冷蔵庫から保存容器を取り出し、中の料理を小皿に取った。
「こちら、お通しになります」
小皿にこんもり盛り付けたのは、セロリと白滝の柚子胡椒炒め。さっと茹でた白滝とセロリを、葉も一緒にゴマ油で炒め、柚子胡椒で味付けしただけの簡単な一品だが……。
仁はひと箸口に入れて、少し意外そうな顔をした。
爽やかな味わいで、白滝とセロリの歯応えの対比が楽しめる。酒にも合うが、鶏肉のソテーの付け合わせにもピッタリだ。何より、三日間は冷蔵庫で保存できるので、作り置き料理として重宝している。
「これ、美味しいですね」
「ありがとうございます。よろしかったら、お代りサービスしますよ」
2024.06.12(水)