そう言って困った顔をしたのは、雪正の妻である。
「どうか、雪哉を𠮟らないでやってくださいまし。何か訊かれましても、私が説明いたしますから」
そう言って懸命に次男坊を庇う妻は、実は、雪哉の生母ではない。
垂氷の三兄弟の中で、雪哉だけ母親が違うのである。雪哉の生みの母が早くに亡くなったせいもあり、良く出来た妻は、雪哉も実の子と分け隔てなく育ててくれた。おかげで平素は意識せずに済んでいるが、今日は他に人の目がある。この上、雪哉の失態の尻拭いをさせれば、また何を言われるか分からなかった。
雪正は脱力したまま、妻に向かって力無く首を振った。
「いや、そなたが謝るような事ではない」
「そうですよ。僕が馬鹿をやったってだけの話ですから」
けろりと言い放った雪哉を、雪正はいっそ殺意を込めて睨みやった。
「言い分は全くその通りだが、お前が言えた義理ではあるまい、この馬鹿息子が」
雪正は、今日は賓客がおいでなのに、と顔を覆って嘆いた。
「お前達は知らんだろうがな、長束さまがこちらにいらっしゃっているのだ。前の日嗣の御子であらせられる。今でこそ弟宮に譲位し、山神さまに仕える身となっておられるが、朝廷でのお力は、未だに計り知れないものがあるお方だ」
前皇太子の来訪と聞き、聡い長男は息を飲んだ。
「金烏宗家の方ですか!」
「そうだ。お前も、私の跡を継ぐつもりなら、顔を覚えていただくに越したことはあるまい」
金烏宗家とは、族長の一族を指した言葉である。
山内は、それぞれ、東領は東家、南領は南家、西領は西家、北領は北家といった具合に、東西南北の四領を、『四家』と呼ばれる大貴族が統治している。
この四家は、もともとは始祖である初代『金烏』の子どもたちが始まりであるという伝説がある。よって、四家は族長である金烏一家の分家に当たるとされ、金烏一家は『宗家』といった呼ばれ方をするのだ。
長束は、十年ほど前の政変で日嗣の御子の座を追われたものの、未だに宗家の者として尊敬を集めている貴公子であった。何より、宗家の長子であるというだけで、朝廷での地位は既に約束されている。
2024.04.15(月)