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西郷がわからねば西南戦争もわからぬ

磯田 昔の西郷だったら、熊本城なんかでもたもたしているはずがありません。九州で戦争を起こすときはまず関門海峡を押さえるのが、戦国時代からの常識です。だから、自衛隊も小倉と久留米にいまだに連隊駐屯地を置いています。熊本は何らの戦略要地ではない。それなのに、西郷は熊本城を落とすことにずるずると時間をかけている。自分が士族と一緒に自殺をして、徹底して鎮圧されれば、その後は国民皆兵の近代軍の創設が行なわれることをだいたい予想していたと思います。

 西南戦争をやっているうちに、全国の不平士族が次々と反乱を起こして、大久保も鎮圧できなくなり、もう一度、西郷と交渉のテーブルにつく、というシナリオも少しは考えていたかもしれません。でも、客観的に考えれば、その可能性は限りなくゼロに近かった。大久保は西郷の意図を酌んでいたかどうかわかりませんが、西郷にとっての西南戦争は、結果を見通した上での自殺的行為であったと思います。

浅田 僕は西郷が最後に立てこもった城山を何度も見に行っているんですけど、花道みたいなんですよ。残された500人くらいが立てこもって、最後みんなであそこを駆け下りて散っていくわけでしょう。西郷が死に場所を決めて言った「ここらでよか」という有名な言葉は、大久保に対して、うまく芝居はできたろう、と呼びかけているように僕には聞こえるんです。

 反逆者なのに銅像が建てられ、英雄化されるのが早すぎるのも、不可解です。不思議な人ですよ、西郷さんは。

磯田 西郷は餅のような男であるというのが、私にはいちばんしっくりくるんです。お餅って、二つ並べて焼いていると、いつの間にかひっついて一緒になってしまう。どうして西郷はあんな戦争に担がれてしまったのかと考えると、西郷は近くにいる人間と感情的に一体化してしまうからですね。たとえば友人の月照と一緒に入水自殺を試みて、自分だけ生き残ってしまう。武士だったら後を追いそうなものですが、再び死のうとはせずに、また何か仕事をしはじめる。そのような大いなる矛盾を抱えたところが西郷の大きさであり、ある種、理解に苦しむところですよね。

 西郷はわからぬ。西郷がわからねば西南戦争もわからぬというのが、歴史学者のみならず、小説家やあらゆる日本の歴史が好きな人たちを悩ませている課題かもしれません。薩摩へ行くと、大久保利通の悪口を言う人はものすごく多い。一方で、あれだけの若者たちを道連れにして死なせているのに、西郷を恨む人はほんとにいないんですよ。

浅田 なんでそんなに尊敬されているんだろうね。本物の西郷は見たことない人がほとんどだと思いますよ。僕がタイムマシンに乗っていちばん会いたい人です。この目でどういう人なのか、見極めてみたいですね。

浅田次郎

1951年生まれ。作家。『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、『お腹召しませ』で司馬遼太郎賞など受賞多数。2015年紫綬褒章受賞。

磯田道史

1970年岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。国際日本文化研究センター教授。著書に『徳川家康 弱者の戦略』『感染症の日本史』(ともに文春新書)、『無私の日本人』(文春文庫)、『日本史を暴く』(中公新書)、『武士の家計簿』(新潮新書)、『近世大名家臣団の社会構造』(文春学藝ライブラリー)など多数。

磯田道史と日本史を語ろう (文春新書 1438)

定価 990円(税込)
文藝春秋
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(初出:「幕末最強の刺客を語る」『文藝春秋』2011年2月号) 

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2024.02.29(木)
文=磯田道史