この記事の連載

西南戦争は「大芝居」だった

浅田 密偵だったとしても、元々、会津藩士だったわけではないと思います。言葉なんかでばれてしまうから。

磯田 新選組に入ってから、だんだん密偵の活動を始めたのではないでしょうか。近藤勇が行きすぎだ、というのを永倉新八たちと一緒に松平容保に対して直訴するあたりでは、すでにおそらくそのような役割を担っていた可能性があると思います。

浅田 本当に謎の人ですね。唯一未開拓の新選組の大物だから、書いてみたかった。すごく無口な人だったようですね。

磯田 秘密が漏れないから、斎藤一は暗殺や密偵にはもってこいですよ。

浅田 近藤勇はいつも斎藤一を連れて歩いていて、非常に可愛がっていたようです。今でいうSPというかボディガードにも向いていた人だったのでしょう。

磯田 『一刀斎夢録』の後半の読みどころは、斎藤一が警視庁の抜刀隊として従軍する西南戦争ですね。小説のなかで展開される、浅田さんの西南戦争論に、私は非常に頷きました。西南戦争は、大久保利通と西郷隆盛の二人が台本を書いて、日本軍を近代化させ、士族の反乱を終わらせるために打った「大芝居」だと書かれています。

浅田 斎藤一が小説のなかでいうように、西郷隆盛と大久保利通が征韓論ごときで袂(たもと)を分かつはずがないと思うんです。

磯田 私も「大芝居」は明確な謀議はないにしても、あうんの呼吸というか、「未必の故意」としては、あったのではないかと思います。あまり学者はそういうことを言えないのですが、あんな戦争、西郷だって成功するとは思ってないでしょう。なのになぜやったのか。

浅田 西郷が士族の不満を汲み取って反乱を起こそうと思っているのであれば、1874年に起きた佐賀の乱に呼応するのが普通です。

磯田 いざ蜂起するとなったら、西郷は様々な謀略をめぐらせて、同時多発的に士族反乱を起こすはずです。ところが、西郷は、他藩を巻き込む行動をとらず、桐野利秋が下手な戦略を打っても何の口出しもせず、そのまま引きずられていく。

浅田 あれは西郷の指揮した戦争ではないですよ。桐野の戦争です。

2024.02.29(木)
文=磯田道史