『マスクは踊る』(東海林 さだお)
『マスクは踊る』(東海林 さだお)

 飄然と暮らすことが難しい時代になった。人間の抱える矛盾を受容した上で面白がったり、生活のあれこれを少し意地悪く観察したり、何事にも例外がある大前提を省略して語ることを善しとしないムードは、年々高まっている。

 ゆらぎのない明確な意思を表明しろと、世間に凄まれているとすら感じることも増えてきた。持つ者と持たざる者の境界線はくっきりと引かれ、ものごとの善悪はモザイク状で、簡単には白黒をつけられないという当たり前も共有しづらくなった。そして、こういうことを言ったあとに「あくまで、個人の感想ですが」と添えないと怒られる。

 誰に怒られるか。顔の見えない世間に、だ。功罪を列挙したら、罪のほうがやや多くなってしまったSNSのせいだ。もちろん個人の感想ですが。

 飄然と暮らすことが最も難しくなったのが、二〇二〇年初頭から始まったコロナ禍だろう。未知のウイルスのせいで世界中が同質の不安に苛まれ、経済は逼迫し、心に余裕がなくなりユーモアは禁忌になった。もう少し詳しく書くなら、ユーモアが「心温まるもの」か、「悪ふざけ」かを、他者が断罪するようになった。

 連帯より対立や排除が際立ち、家に留まり続けて誰もがヘトヘトになった。見通しのきかない未来に眉間に皺を寄せているか、声高に主張しているか、小さなしあわせを寿(ことほ)いでいるか、くらいしか許されなくなった。壮大な社会実験に強制参加させられているようでもあり、余裕がなくなると集団はこう変わる傾向にあると知った。

 だから、『マスクは踊る』を読んで心底驚いたのだ。これは「オール讀物」平成三十一年三・四月号から令和二年十一月号に掲載された連載をまとめたものなので、タイトルからもわかる通り、プレ・コロナからパンデミックど真ん中に書かれたエッセイ集だ。しかし、どこからパンデミックに突入したのか気づけなかった。東海林先生が、飄然と暮らし続けているからだ。娯楽小説誌という掲載誌の特性をさっぴいて考えても、驚きは変わらない。

2023.11.03(金)
文=ジェーン・スー(作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ)