納得のいく説明もないまま昨日までの悪が今日から善となり、教科書に黙々と墨を塗った、もしくは親に塗られた子どもたちが、令和のOVER八十五歳だ。世間が掲げる規範に対する疑念や距離感は、我々のそれとは大きく異なる。結果、変化への耐性が高い。
耐性が順応性や客観性として現れる場合と、不屈なまでの不変(学ばなさとも言う)に現れる場合があり、年功序列に従って権力を行使される側=戦後生まれにとっては危険なガチャでもある。
「ガチャ」とは最近のインターネットスラングで、お金を入れてレバーを回すとカプセルに入ったおもちゃがランダムに出てくる小型販売機を由来に持つ、スマホゲームのランダム型課金システムを指す。課金しても欲しいアイテムが手に入るとは限らず、それが射幸心を煽るのだが、インターネットスラングでは「子どもは親を選べない」など、選択の余地がない境遇を強いられる場面で使われる。半世紀ほど生きた私のような世代にとっては、親の老化が新たな親ガチャであり、ガチャは自分の行く末でもある。
しかし、大人は自身の性質をガチャに任せる必要はない。成熟した大人なら、ある程度は自分で選び取れる。順応性や客観性を尊びユーモアのある人生を選ぶか、時代の変化に鈍感なまま恐竜のように絶滅していくかを運に任せずにいられる。
東海林先生がなにを選んだかは、この一冊を読めば理解できる。軽妙な文体とは裏腹に、幼少期から世間をつぶさに観察していることがよくわかる。観察力は、人を恐竜に退化させない抑止力だ。
東海林先生の生きる指針が窺える「コロナ下『月刊住職』を読む 仏教界より葬儀界が……」を始めすべての稿に、おちょくりに擬態した批評がちりばめられており、やわらかだが強い意思表明がある。人間のディグニティについての深い考察を見逃してはもったいない。こういうことを書くのは本来不遜で無粋なので避けたいところだが、これは文庫の解説なのでご容赦ください。
2023.11.03(金)
文=ジェーン・スー(作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ)