話変わりまして。本作には、医師の長谷川和夫さんとジャーナリストの田原総一朗さんとの対談が収録されており、東海林先生が最も恐れているのは認知症であることがわかる。好奇心を失い、自分の頭で世の中を見渡すことができなくなるのを恐れていると言い換えても、誤解はないだろう。

 邪推の域を出ない話ではあるが、よく聞く「自分のことがわからなくなるのが嫌だ」とか「周りの人に迷惑を掛けたくない」などの理由とは異なる印象を受けた。ご自身を、世の中に対峙する視座と定義していらっしゃるように思えた。己の五感で世間を味わい尽くすことこそが、生きる醍醐味だとも。

 キーボードを打ち始めて十年しか経っていない若輩者の暫定的な見解を記すのは気後れするが、勢いに任せて書くと、エッセイは「朝起きてご飯を食べて出かけて夜帰ってきて寝ました」を、どれだけ読むに堪えうる文章にできるかにかかっている。堪えうるか否かを決めるのは、書き手の視点だ。視座を固定するのは、欲望だ。生活の起伏が激しければよいというものではない。誰にでも複製可能な正解や結論が書かれていることでも、当然ない。

 なんでもない日常の、ちょっとした引っかかりにこっそり虫眼鏡をあて、「なるほどね」とか「言われてみればそうだ」といった読後感を与えられたらしめたものと思いながら私は書いているが、目指す頂は東海林先生の立つ場所だと、本作を読んで確信した。飄然と暮らし、己の欲望から目を背けず、日常を素通りせずに書いていくということ。

 最後に、私のようなすれっからしに解説執筆の機会を与えていただいたことに感謝する。平成二十七年度の講談社エッセイ賞を受賞した際、東海林先生は審査員のひとりだった。あまりに不慣れなことで、授賞式できちんとご挨拶もできなかった記憶がある。選んでいただき、ありがとうございました。あのとき助けていただいた鶴です。

 いつか恩返しができればと祈るような気持ちでいたが、これがその十分の一くらいにあたるといいなと、鶴は祈るような気持ちでいっぱいだ。

マスクは踊る(文春文庫)

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2023.11.03(金)
文=ジェーン・スー(作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ)