まいったな。
『剣樹抄』を読み終え思わず唸った。
「今度、ドラマにしたいと思ってる小説なんだ」とプロデューサーから手渡され、読み始めた。私は脚本家なので仕事として手にとった小説、のはずだった。
が、そんなことはすぐにどこかへ行き物語の世界へぐいぐいと引き込まれた。
私の知っている水戸光圀(みとみつくに)は黄門(こうもん)様と呼ばれ、頭巾を被って諸国を漫遊し、ドラマが終わる十分前頃になってようやく助さん格さんに「やっておしまいなさい」と命じて、悪党を懲らしめ「カッカッカッ」と高笑いするおじいちゃんだった。
だが、『剣樹抄』で描かれる若き水戸光國のなんと雄々しく艶っぽく魅力的なことか。
この光國でドラマシリーズにすればいいのに。あっ、これからドラマにするんだった。
それも私が脚本を書くことができる! そんな幸運をかみしめながら読み進めた。
野球のスイングのような棒振りをする了助(りょうすけ)。バレエを舞うように剣を振るう氷ノ介(ひのすけ)。
目の前にすぐに映像が広がるような躍動感溢れる描写に、ドラマならどんな殺陣(たて)になるんだろうと心が躍る。『光圀伝』でも圧倒された冲方先生の膨大な知識に裏打ちされた物語の展開は、史実を巧みに織り込みながらエンタテインメントとして昇華されており、知的好奇心を満たされると同時に、シンプルに悪人を成敗する娯楽的な楽しみもある。
これは絶対面白い時代劇になる。そう確信した。
ただし、まいったのは、この若き光國が大きな罪を抱えていることだ。
過去に了助の父を殺している。
しばしば時代劇では、歴史上の人物を主役、あるいはメインキャラクターに据えるとその暗い史実をあえて描かなかったり、解釈を良い方向に変えて表現することがあるのは時代劇をご覧になる多くの方がご存じの通り。それはもちろん、視聴者に愛される人物にする為で、特に時代劇の場合、主人公にはヒーロー的な人物像が望まれることが多い。
2023.10.27(金)
文=吉澤智子(脚本家)