語る彼ら自身が、その小説を通して表れてくるのだ。

 吉沢は、春の語る『銀河鉄道の夜』を聞いて、春が書いた小説を読み、春と対話する中で、別れた妻や娘との関係を思う。篠田は、春が「好きすぎる」という福永武彦の『秋の嘆き』を読み、彼が春に語ることを通じて、春は自分の奥底にあったものに気づく。

 読むこと、読まれること、話すこと、話されることが、春という一人の人を少しずつ変え、閉ざされていた心を少しずつ外の世界へと押し出していく。

 この物語に至る前にも何度も読まれたのは、父が唯一残した手紙である。父の妹である叔母から届いた手紙、そして子供だった自分の書いた文章を読むことで、春は自分自身の謎を解いていく。

『銀河鉄道の夜』の改稿について質問する春に対して、いちばん始めに書いた部分は「動機」ではないか、と吉沢は言う。それは『ファーストラヴ』で父親を刺殺した女子大生が取り調べで言う、あの印象的な「動機はそちらで見つけてください」と響き合う。

 人はきっと、最初から明確にわかっていてそのように行動するわけではない。自分の行動の理由を、理解しているわけではない。その人が言った「理由」がいつも真実とも限らない。そして真実ではないからと言って意図的な「嘘」とも限らない。

 私は、この小説を単行本が刊行されてすぐに読んだ。二年近い時間を経て、私も「読み直し」「語り直す」ことを身をもって体験した。

 最初に読んだときとは印象が違うところがあった。特に、春と売野のやりとりの場面では(二人の声がするすると聞こえてきて、どの場面も好きだ)、思い浮かべる経験や身近な人の顔が増えたり違ったりした。それは、二年という短くも思える年月のあいだに、個人的にも、世の中のできごととしても、違う経験をしたからだろう。

 この小説が二〇二〇年の夏を描いていることも、二〇二三年の私にはいっそう深い意味があると感じられた。

 人と会うことが困難であるからこそ貴重だった日々、大人数の飲み会では深く話すこともなかっただろう人との関わり、一人と向き合うからこそ交わされる言葉。二〇二〇年の夏でなければ、生まれなかったことかもしれない。

2023.10.03(火)
文=柴崎 友香(作家)