小説は、たいてい、すでにできあがったものとして読まれる。春がアルバイトに通う売れっ子作家吉沢樹が「ミステリーは細かい伏線張らなきゃいけないから」と言うように、結末や結果に向かってそれにつながる出来事や理由が示されていくはず、と。小説やドラマや映画、溢れる物語をたくさん読んできた私たちは、現実も、身近な人のことも、あるいはニュースで知った事件についても、物語としてとらえがちである。
恋愛の関わる親密な関係についても、それが破綻したり暴力や不適切な事態が起こったりしたとき、実は最初からだますつもりだった、善意だったのを誤解していた、みたいに意図や理由があって行動していたと思ったりする。それは時には、「見抜けたはず」「見る目がなかった」という非難につながりもする。だけど、愛と暴力は、対極にあるのではないし、そして紙一重でも裏表でもないのだと思う。それらはもっと入り交じって混沌としたものかもしれない。
春は、長らく二つの小説について考え続けている。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』と、失踪した父親が書こうとした小説である。
この小説の中で『銀河鉄道の夜』は、何度も読み直される。第一稿から第四稿まであり、よく知られている小説なのに実は未完であるこの小説について、春は何度か気になる場面を引用し、同じく文学を研究する友人たちと、恋人の亜紀と、信頼を感じる吉沢と、それぞれに話し合う。
いくつかの文学作品を読み直し、読み方について何度も語るこの小説は、恋愛の関係をめぐる物語としては、少々変わっているかもしれない。
夏休みに偶然会ってから話すようになった大学院で同期の売野は、「十代の頃にすごく売れた日本の小説」について話し(あの小説&映画のことだとすぐわかる人も多いと思うが、売野の「あらすじ紹介」は少し違った印象になっている)、春と過ごす一夜に『されどわれらが日々』『ノルウェイの森』について話す。そのとき語られるのは、作者の視点、登場人物の視点、売野の視点の三層から見えてくるなにか、そして売野の経験と結びついた男女と恋愛へのまなざしだ。「十代の頃にすごく売れた日本の小説」が「視点」が重要な仕掛けになっているのが示唆的だが、この小説の中で「誰かによって語られる小説」のバリエーションは、ミステリー的な仕掛けや、別の人から見ればまったく違った見方になる、ということではない。
2023.10.03(火)
文=柴崎 友香(作家)