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「事故物件に残されていた土は、微生物が分解した“元・人間”でした」

――男性の遺体は発見後どうなったのですか。

 骨は警察が現場検証の際に回収しました。そして、遺体が横たわっていた布団になぜか人型に土が盛られて残っていたんです。それがとても不思議でした。「この土はいったいどこからやってきたのだろう」「なぜ遺体があった場所に土が残っているんだろう」と。

――その土の正体は……まさか。

 その土は、亡くなった男性の血や肉が「食べられた」跡だと思われます。部屋にはネズミの糞や昆虫の死骸もたくさんあったんです。男性の遺体は腐乱し、ネズミやゴキブリ、ウジなどに食べられ、糞はバクテリアが分解し、2年の歳月を経て土に還ったんじゃないかな。元男性と思われる土はタッパーウエアに移し、現在も保管しています。

――土の正体は、生物に食べられた男性のなれの果てだったのですね。なんという「恐い食べ物」でしょう。それがこの本につながったのですか。

 そうです。ちょうどその頃、二見書房の担当さんから「次の本は“恐い食べ物”なんていかがですか」と提案されていたんです。「恐い食べ物か。あんまりないテーマで面白そうだな」と頭の片隅にありました。

 そんな矢先に、この物件と出会った。人間が食べられ、排泄され、分解され、土になる。「人間だって食べ物になるんだ」と気がつき、その瞬間に頭の中で「恐い食べ物」の企画とピタッとつながったんです。

――まるで『恐い食べ物』という本を書く宿命だったかのようなタイミングですね。しかもこの本の凄いところは、男性の遺体だった土でカイワレを栽培し、タニシさんが食べる点にあります。自分と同い年の人間の血肉で育てたカイワレは、どんな味がしたのですか。

 すんごい辛い。スーパーマーケットや青果店で買う一般的なカイワレは多少ピリッときますが、較べものにならない辛さでした。辛さの濃さというか、噛んだとたんに辛さが強く主張してくるんです。びっくりしましたね。

――カイワレに姿を変えた男性が辛さというかたちでメッセージを伝えたかったのかもしれないですね。そしてそのカイワレは、二見書房の社内で栽培したそうですね。

 そうなんです。自分で栽培すると長旅の期間などに枯らしてしまうので、担当さんに水やりをお願いしました。担当さんは「取材で使うので移動厳禁」と書いたダンボール箱を鉢にかぶせ、会社の屋上で育てていたそうです。だからこの本が発売されるまで、二見書房の他の社員さんは、元・人間だった土が会社にあるのを誰も知らなかった。

――自社の新刊が発売され、その本によって社員たちが、元・人間だった土の下で働いていた事実を知るなんて、こんな恐い結末の怪談本は他にないですよ。そして気になるのは土のにおいです。どんなにおいがするのですか。

 クサいです。ただ、クサいのはクサいんですが、それだけじゃない。甘くて懐かしい。「昔、嗅いだ経験があるにおい」なんです。でも、いつどこで嗅いだ、何のにおいなのかが思い出せない。あれからずっと、あのにおいについて考えています。大げさではなく、今の自分は「あのにおいは何だったのか」を探す旅に出ている気がするんです。人が「恐い」と感じるものの正体が、そこにあるんじゃないかと思うんです。

――人間を養分としたカイワレを食べた体験は、タニシさんにとってとても大きな出来事だったのですね。

 大きかったですね。元・人間だった栄養分を摂取し、間接的ではあるけれど人を食べた。人の命を食べた。それによって「乗り越えた感」がありました。自分はこれまで事故物件で暮らしたり、死にまつわる言い伝えがある場所を訪ねたりしてきました。でも、心のどこかで「探しているものに触れられていない」というジレンマを感じていたんです。

 今回、人間の土で育った作物を食べたことで、やっと生と死を受け容れられた気がした。食べるとはすなわち「植物や動物の死を自分のなかに取り込むことなのだ」と理解できたんです。

2023.08.08(火)
文=吉村智樹
写真=志水 隆