この記事の連載
- 事故物件住みます芸人・松原タニシ #1
- 事故物件住みます芸人・松原タニシ #2
「あの世とこの世の境目をさまよっていたから、あんなことが起きたのかな」
――食べ物と睡眠といえば、「そこで夢を見たら死ぬ」という伝承がある洞窟で、あえて睡眠を取ってみるという挑戦もされていますよね。しかも「食べると悪夢を見る」と言われているチーズを携えて。
島根県の猪目(いのめ)洞窟ですね。あそこは「洞窟で夢を見ると死ぬ」という言い伝えがあり、以前から関心があったんです。さらにイギリスには「眠る前にチーズを食べると悪夢を見る」という迷信があり、とりわけイギリス産のブルーチーズ「スティルトンチーズ」は「鮮やかでクレイジーな夢を見る」という実験結果も出ている。
ならば、「この二つの要素を足してみよう」と思いつきました。せっかく『恐い食べ物』という本を出すのだから、食べ物で恐い目に遭わないと面白くないですから。
――タニシさんは夢をよく見るタイプですか。
いいえ。実は普段、夢はほぼ見ないんです。だからこそスティルトンチーズに期待する部分が大きかったですね。
――そして「夢を見たら死ぬ」と言われていた洞窟では、実際に悪夢を見る目的は果たせたのでしょうか。
これが本当に不思議な体験で……。小雨が降る夜でした。洞窟は限界まで腰を曲げなければ前へ進めないほど天井が低く、懐中電灯で天井を照らすと、そこにはコウモリがびっしり。地面はコウモリの糞が積もり、クッションのようにフカフカなんです。
そんな場所の入り口にビデオカメラを設置し、チーズを食べながら寝転びました。しかし、まったく眠くならない。結局、後からスタッフ二人がライトを手にしながら現れて、そこで実験終了でした。「ああ、失敗した」と思いましたね。
――せっかく苦労して辿り着いた場所だったのに。
ところがね、あとで録画を再生すると、僕は完全に眠っているんです。スタッフから頭部を照らされたと感じたライトの光も、まったく写っていない。つまり洞窟の中にいながら「洞窟の中で眠れない、という夢」を見続けていたんです。夢と現実があいまいというか、現実だとしか捉えていなかったことが実は夢だったという。眠るという実験はそういう点では成功でした。
――夢の中で「眠れない」と苦しむなんて、これほどの悪夢はないですね。
がんばって眠ろうと横たわっている間、雨の音なのか何なのか、ずっと「ザザーアッ!」という激しい水の音がしていました。それがうるさかったのも眠れない理由の一つ。でもビデオにはそんな音、まったく録音されていないんです。
あと、足首を誰かにつかまれたり、髪の毛が急に伸び始めたりもしていたんです。しかし、映像には残っていない。それらしきものがまるで映っていない。
猪目洞窟は「現世と黄泉の国の境目」と呼ばれていて、「黄泉の穴」という別称もある。「魂があの世とこの世の境目をさまよっていたから、あんなことが起きたのかな」とは思いますね。「死ぬ」という言い伝えも、半分は当たっていた。
――「猪目洞窟で悪夢を見る」実験もそうですが、断食をしたり、幻覚サボテンが生えるメキシコの郊外まで「生まれ変わりの儀式」を受けに行ったり、そしてかつては人間だった土でカイワレを育てて食べてみたり、「恐い食べ物」というテーマにここまで命を削れるのはすごいと思います。自ら望んで恐怖に立ち向かおうとするのは、なぜなのでしょう。
恐怖とは何か、「恐い」と「恐くない」の境界がどこにあるのかが知りたいんです。僕は2012年に初めて事故物件に住んで、あれから10年以上の歳月が経ちました。正直に言って、事故物件はもう恐くはない。それでも住み続けるのは、「たとえ事故物件に幽霊が出たとして、幽霊は本当に恐いのか」「恐いの定義はなんだろう」、それが知りたいからなんです。
――新刊『恐い食べ物』でタニシさんは「恐怖こそが、世界と自分との境界線であり、恐怖に対して何かを選択することで、自分というものが初めて出来上がる」と記されていますね。
食べ物という異物を口にする、受け容れる。それって「自分の意志で恐怖を乗り越える」「新しい自分と出会う」ということだと思うんです。だから僕は今後も、恐る恐る、いろんな不思議なものを食べていくのでしょう。
恐い食べ物
定価 1,650円(税込)
二見書房
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2023.08.08(火)
文=吉村智樹
写真=志水 隆