小泉今日子を始め、オリヴィエ・アサイヤス監督やアピチャートポン・ウィーラセータクン監督などが絶賛し、国内外で「アジアの新しい才能」として注目を浴びてきた俊英・宮崎大祐監督。これまでとは異なる世界観で観る者を驚かせ、今年さらなる飛躍を遂げた彼の“土地と音楽”に対する思いとは?


●監督になりたいことに気づいた就活の圧迫面接

――幼い頃の夢を教えてください。

 中学まで野球をやっていたので、最初は野球選手になりたかったです。背が伸びないので諦めかけていたときに、本格的にロックと出会い、ギタリストになりたいと思いました。通販でギターを買って、雑誌「BANDやろうぜ」に載っているタブ譜(ギター専用の譜面)を練習し、同級生とバンドを組みました。

――その後、映画監督を目指すようになったきっかけは?

 高校のときはハガキ職人をしていて、「ネプチューンのオールナイトニッポン スーパー!」などのラジオ番組に投稿していたこともあって、TVの構成作家を目指していました。その後、早稲田大学に入ったんですが、アート全般のゼミと、映画を観て批評するサークルに同じタイミングで入り、ミニシアターに通う映画漬けの日々を送ったんです。そして、そこで出会った先輩の熱量に影響されて、自分でも実験映画を撮るようになりました。でも、大学を出て映画監督になろうとは思っていませんでしたね。

――実際、映画監督を目指したのは、どのタイミングだったのでしょうか?

 就活をしているとき、とある会社の圧迫面接で「君は本当は何をやりたんだ?」と言われて、思わず「映画を作りたいです!」と言ってしまったんです(笑)。そこで、初めて自分が映画監督になりたいことに気づいたんですが、何をしていいか分かりませんでした。就職せずに、映画美学校に通い始め、そこの紹介から実際の撮影現場をたくさん経験することになり、2007年ぐらいには黒沢清監督の『トウキョウソナタ』に助監督として参加しました。

2023.07.21(金)
文=くれい響
写真=細田 忠